あさひ

おとさん(20代後半・女性)
2020年8月に長男を出産。
想いをつむいだ日: 2020/12/22

第一話 妊娠

 涙目になっている。たける。
 胸に温かいものが込み上げてくる。よかった。わたしもうれしい。

 子どもがほしいという想いは、きっと、たけるのほうが強かったと思う。
 同じ大学に通っていたたけるとは、ミクシィで出会った。子どもが好きだと聞いていたから、真剣に結婚を考えるようになったとき、きちんと伝えておかなくてはいけないと思った。
 月経困難症。初めて生理がきたときから、わたしはそれとずっとつき合ってきた。重い生理痛に悩まされて高校を休むこともあったし、大学生のときに生理痛で倒れてからは、婦人科に通い、低用量ピルを飲んで症状を落ち着かせてきた。
 子どもができにくいかもしれない。わたしと結婚したら、子どもをもつという夢を叶えてあげられないかもしれない。さりげなくずっと避けてきた話題を切り出すのは、勇気がいることだった。
「たけると一緒になりたいと思っているけど、妊娠しにくい可能性がある。だから、結婚を考えるのは、調べてからでもいい。どう思う?」
 おそるおそる聞いたわたしに、たけるは微笑んで答えてくれた。
「今の段階では調べなくていい。二人の人生も考えられるから。子どもができたらうれしいけれど、できなくても大丈夫だよ」
 その言葉が、純粋にすごくうれしかった。

 それから結婚して、結婚式から四カ月経った秋に妊活を始めた。できるなら三人ほしい。それなら、二十九歳のときに一人産みたい。子どものいる生活を思い描いたわたしは、前のめりになっていた。
 けれど、なかなか子どもはできなかった。一回や二回で妊娠できるものと思っていたから、もどかしく思った。
 むずかしいのは、二人の気持ちを合わせること。なんだか作業的になってしまって気持ちが乗らない日がある。一度心を決めると目標に向かってまっしぐらになるわたしは、「この日あたりが排卵日だから」と伝えて、自分もそれに合わせて行動してしまう。わたしの性格をよく知っているたけるは、はじめのうちは理解を示してくれていたものの、だんだん呆れてきたのか億劫な素振りを見せ始めた。そんなにがんばらなくても、と言われているようだった。
 でも、わたしが産むのだ。わたしの生活が大きく変わってしまうのだ。男の人は、自分が出産するわけじゃないから、こうやって認識の差が出てくるんだろうな。そんなふうに冷静に受け止めながら、もどかしい思いは消せなかった。

 妊活を始めて二カ月後、クリニックへ行った。妊活を始めたときから決めていたことだった。数回チャレンジしても妊娠しなければ、調べてみよう。知らないと、行動できない。
 不妊治療ができるクリニックを予約して、一人で向かった。真っ白な壁と静かな雰囲気に少し緊張しながら話をしたわたしに、先生は「子宮内膜症の検査をしてみましょうか、血液検査でできるから」と言った。
 もちろん、検査するの一択だった。知らずに不安でいるより、きちんと知って対処したい。
 血液検査の結果、数値は悪かった。
「どこにあるとは言えないけれど、子宮筋腫のようなものがあってもおかしくない数値です」
 やっぱりな、と思う。検査結果を聞く前からそんな気がしていた。だから覚悟はできていて、それよりも今後どうしていけばいいんだろうと思った。
 そもそも、わたしは月経周期も安定していない。
 毎朝、基礎体温は測っているけれど、いつも波ははっきりしなかった。どれが高温期でどれが低温期なのか、見方がわからない。もっときちんとわかるものかと思っていた。こんなのもわからないんだ。自分の体なのにわからないんだ。
「生理が不順になっていて……」と、顔を上げて先生に相談をする。まずは月経の周期を整えていく治療が必要だろう。「今月は、もう生理予定日を過ぎて、二週間来ていません」
「そうですか。月経が遅れているとなると、妊娠の可能性もあるので、尿検査もしてみましょうか。今日中に結果も出るので」
 先生にそう言われて、検査することにした。
 月経が多少遅れるのはいつものこと。きっと今回も遅れているんだろうなと思った。妊娠は期待していない。二回チャレンジして妊娠しなかったのだから、どこか別のところにハードルがあるんだろう。原因がわかるといい。そしたら、少しは見通しが立つだろうから……。

 十五分ほどして再び診察室に入ると、予想もしていなかった検査結果を聞くことになった。
「妊娠していますね」
 え? ……え、ほんとに? 驚きとうれしさで、頬が緩みそうになる。ぬか喜びしてはいけない、と自分に言い聞かせて冷静を保ちながら、先生の話を聞く。エコーの画面には、確かに嚢胞が映っていた。
 どうやら、その月は自分の計算よりも二、三週間排卵日が遅れていて、偶然タイミングが重なったようだ。
 結局、二人が自然にそういう気持ちになったときに授かるんだな、と思った。排卵日前をねらって必死に頑張っていたけれど、そういうことじゃなかった。気持ちも重なったときに、妊娠できるのかな。妊活をやめたら妊娠したという話をよく聞くけれど、確かにそういうのがあるのかもしれない。
「心拍を確認するので、二週間後に来院してくださいね」
 先生に見送られ、なかば夢心地でクリニックを出た。早く、たけるに言いたい。心拍確認できるまで確定じゃないとわかっていても、期待に胸が膨らんだ。浮足立って運転に集中できず、気をつけなくちゃ危ないぞと自分に言い聞かせながら家までの道を運転した。

 話ができたのは、夜九時頃だった。帰宅したたけるの前に立って「今日クリニックに行ってきたよ」と声をかけると、「うん」と真剣な顔でこちらを見る。
「できているって言われた」
「おお、よかった!」
 破顔したたけるは、ガッツボーズしそうな勢いで喜んで、駆け寄ってきてくれた。大きく広げた腕の中に飛び込む。二人抱き合うと、喜びが全身に広がるようだった。
「でも、そうじゃないかなって思ってた」
 そう言いながら、たけるはみるみる涙目になってゆく。気づけば、わたしも泣いていた。今朝までずっと抱えてきた見えない爆弾のようなものが消えて、安堵とともに大きな喜びがやってきた。よかった。ほんとうによかった。まだ手放しには喜べないけれど、たけるのぬくもりの中、じっくり喜びを噛み締めて温かい気持ちになった。

第二話 心拍確認

 妊娠がわかってから二週間は、気が気じゃなかった。心拍を確認するまでは安心できない。赤ちゃんが育っているとは言えない。母子手帳ももらえない。
 赤ちゃん、動いているかな。育ってくれているかな。気になって、ネットでもいろいろ調べた。約一割の人は流産の可能性があると書かれているのを見て、もしかしたらと不安になった。
 予約した日にクリニックに行ったけれども「まだ確認できないね」と言われ、心拍確認ができたのはさらに二週間後だった。
 たけるには診察室で待っていてもらい、内診室に入る。エコーでお腹の中を見ると、嚢胞の中に点が見えた。
「これが心拍ですね」
 先生が指した画面に、波形が描かれていく。
 ふいに目頭が熱くなった。今まで、妊娠したよと言われてもどこか実感が湧かなかったのに、のびてゆく波形を見て、ちゃんと生きていると感じた。これがわたしの子どもなんだ。ママになれるんだ。
 たけると一緒に先生から説明を聞き、診察室を出て、二人で顔を見合わせた。もらったエコー写真を手に「とりあえず、一安心だね」と呟くと、たけるもほっとしたように柔らかく微笑む。両親にも早く伝えたい。家に帰ったら報告の電話をしよう。
 少し心配なのは、嚢胞の近くに浮遊物があったこと。流産の可能性も考えられるので、何かあったときに対応できるよう紹介状を書いておきたいと言われた。クリニックは婦人科専門で、出産は受け入れていない。急かされて焦りながら、家からいちばん近い産院に決めた。妊婦健診もその産院で受けることになった。
 クリニックを出ると、冷たい冬の空気が肺に入ってきた。たけるの運転する車の助手席に座り、安堵と少しの不安な気持ちを共有する。
 予定日は九月十日。自分が望んでいた二十九歳で出産できそうでうれしい。
「そういえば、お正月にお酒たくさん飲んじゃった。大丈夫かな」
 急に思い出して言うと、シートベルトを締めていたたけるもはっとした表情をした。
「あ、たしかに。もう飲めないね」
「うん」
 妊娠をすると、いろいろと制限も増えるんだろう。パパとママになるんだな、わたしたち。未来を想像して笑みがこぼれた。

 一カ月後、初めての妊婦健診で「とくに問題がないですよ」と確認してもらって、たけるの両親に妊娠を報告した。
 その頃から急に体調が崩れ、仕事を休みがちになった。
 とにかく、吐き気がひどい。何を食べても戻してしまう。朝ごはんを食べてはトイレに駆け込む。初めは三日に一度くらいのペースだったのが、次第に毎日続くようになった。それでも、吐き気くらいなら会社に通えるかなと思っていた。
 しかし、ある朝いつものように通勤前に野菜ジュースを飲んでから運転をしていたら、会社付近でとても気持ち悪くなった。なんとか会社に到着してトイレに駆け込むと、野菜ジュースが全部出てしまった(それ以来、野菜ジュースはトラウマで飲めない)。さすがに、これはちょっとやばいかもと思った。
 会社の人には妊娠を伝えておらず、出張で疲れていると説明していた。月経が重いことは前から認識してもらっていたし、安定期に入る妊娠五カ月くらいになってから伝えたいと思っている。でもこんな状況が続いては、いよいよごまかしがきかない。
「実は、妊娠をしまして」
 妊娠の報告をすると、四十代くらいの男性の上司は柔らかく微笑んでくれた。
「ああ、やっぱりそうだったんだね、おめでとう。これからは自分の体を最優先に考えてください。仕事が気になるのもわかるけれど、少しでも気持ちが悪かったら、無理しないで。当日でもいい、いつのタイミングでも、連絡してくれればいいよ」
 その言葉にすごく助けられた。

 つわりは重くなる一方で、ゼリーを食べて過ごすようになった。ご飯は、どれなら食べられるのか、自分でも理解できない。何か食べようと思って口に入れても、時間が経つと戻してしまう。食べられないというより、食べても出てきてしまう感じだった。
 三日連続で会社を休むことも増えてきた。三十人ほどの規模の会社なので、社長にも直接話をすることになった。妊娠したことと、つわりが重くて休んでいる状況を伝えると、休職してはどうかと提案を受けた。
「今見ていてもつらそうだし、欠勤も目立ちます。一カ月など期間を決めて仕事をお休みにしてはどうですか」
 仕方がないかと思った。なるべく休みたくないけれど、出勤できていないのは事実だ。そうしますと答えて、二月中旬から三月中旬まで一カ月休職することになった。
 休職前に出社した日の朝礼で全社員に話をした。
「申し訳ありませんが、この期間はお休みをいただきます。それ以降も、体調が悪いときにお休みをいただく場合があります」
 会社の人たちは、おめでとうと祝福してくれた。お母さん世代の方たちが多く、朝礼が終わると口々に声をかけてくれた。
「わたしもつわりがひどかった。妊娠してから全然動けなかったよ」
「休んでいいよ、カバーするから全然問題ないよ」
 温かく受け止めてもらえてほっとしつつも、もどかしい気持ちは拭えなかった。人数の少ない会社だ。ただでさえ、わたしの妊娠がわかる前から会社で数名辞めていて、一人ひとりの負担は増えている状況だった。
 本当は休みたくないけれど、そうせざるをえない。受け入れるしかない。後ろ髪を引かれる思いで休みに入った。

第三話 休職と在宅ワーク

 休職して、一日中寝室にいるような状態が続いた。朝、会社に行くたけるを見送ることもできない。寝室を覗いて「今からいってくるよ」と言うたけるに、横になったまま「いってらっしゃい」と返すのが精一杯だった。
 お腹がすいてパンを食べても戻してしまう。とても、規則正しい生活をしているとは言えなかった。
 日中、家にひとりなのがしんどい。ひとりでいると、急に不安に駆られる。本当にこの子は育っているのかな。こんなに吐いていて、栄養は届いているのかな。ぼーっとしながらアニメを観て、気を紛らしていた。日中寝ているせいで夜中は眠れない。二時間も眠れなかった。夜中にお腹がすいて食べるのを我慢していたら、気持ちが悪くなって胃液を吐く日もあった。
 これほど生活が一変するなんて、妊娠前にはとても想像できなかった。
「そんなに体調が悪いようなら、休みの期間中、実家に帰るのもいいんじゃない?」
 体調が悪いことを知ったお義母さんは、わたしの体を思って声をかけてくれた。
 でも、実家に帰ったところで、今の生活と変わらない。夜ご飯を作ってもらっても、食べられるような状態でもない。それに、子どもが生まれたら、夫婦二人で過ごす時間は終わってしまう。今はできるだけたけると過ごしたい。
 二人の時間を大切にしたいという気持ちを伝えると、たけるは「それでいいと思うよ」と言って、家事全般をこなしてくれた。洗濯物はまとめて週末に片づけ。早く帰った日はご飯も作る。外で買って帰る日もあって、わたしの分も買ってきてくれた。それくらいが気楽でうれしかった。
 結局、後半一週間だけ実家に帰っただけで、あとは家で過ごした。

 復帰のタイミングが近づいてくるのがこわい。
「復帰できそうですか?」と会社から連絡があったけれど、自分でもわからなかった。風邪なら三日程度で治るだろうと見通しが立てられるけれど、つわりはそうもいかない。意外と大丈夫な日もあるし、夜は平気だったのに朝になるとダメな日もある。
「正直なところ、わからないです。起きたときの体調次第でして」
 おずおずと申し出たわたしに、電話の向こうで総務の人は「それでも大丈夫です」と優しく言ってくれた。
「気にしているのは、有給休暇についてです。制度上、休職が続くと次年度の有給休暇が付与できません。三月中旬から四月中旬のあいだに、休めるのは十日間まで。それを超えると付与できなくなるので、一時間でもいいから出勤していただくとよいと思います」
「それなら、調整できそうです。やってみます」
 ほっとして答えた。
 それでも結局、三月中旬に復職してから四月中旬まで、週の半分は休んでいるような状況だった。勤怠については社長と話をしたけれど、日々の欠勤連絡は直属の上司に入れることになっていた。
「体を第一に考えてくれていいからね。有給休暇はもらえるように調整したほうがよいと思うけれど」
 社内には、わたしの休職や欠勤に対してよくない印象を持っている人もいるだろう。そんな中、上司にそう言ってもらえることが心の支えだった。

 つわりも落ち着いたころから、休みは週一程度になった。朝体調が悪くても、午後から出勤するなど調整ができるようになった。世の中では新型コロナウイルスの感染が拡大している。二月ごろからニュースで取り上げられるようになったその感染症は、感染すると重症になり、感染者数も驚異的な速さで増えていた。感染拡大を抑えるために政府が発令した「緊急事態宣言」により会社が在宅ワークを取り入れ始め、わたしも在宅ワークの対象になった。体調のよい日にPCなどを持ち帰り、いつ休みに入っても問題がないように整えておいた。
「体調が悪かったら横になっていてもいい。数分なら毎回申請をしなくてもいいから」
 在宅ワークが始まってからも、上司が気遣ってくれるのがありがたかった。
 勤め先の入浴剤メーカーで、わたしはBtoCのの通販事業に携わっている。わたしの指示のもと、パート社員二名が業務を進める。感染拡大の状況次第で業務が滞る可能性があり、わたしの体調がいつ変化するかもわからない。
 今の業務の流れでは立ち行かなくなると会社も判断をしたようで、業務の進め方を一新するため、他部署への業務移管を行うことになった。仕方ないことだけど、今まで積み上げてきたものが崩れてしまう気がしてもどかしかった。

第四話 性別

 新型コロナウイルスの感染拡大は一向に落ち着く気配がなく、自分や家族が感染するのではないかと、ものすごく不安だった。ずっと家にいるのも気が滅入る。四月に入ってから直接会って話したのは、たけると、そのご両親くらいだった。自分の両親や妹とも週に三、四回は電話するけれど、やっぱり孤独だ。
 妊娠していることを話したとき、弟の反応は「ふうん、よかったね」という素っ気ないものだったが、出産経験のある妹は「いとこができる!」と喜んでくれた。
 二歳下の妹には子どもが二人いる。妹とはつわりがつらくて寝ているときにもよく連絡を取っていたし、姪や甥とも何度も会っている。つわりがつらいとき、姪や甥が幼いながらに「だいじょうぶ?」と気遣ってくれて、それだけで泣いたこともあった。
「コロナで夫も出産立ち会いができないから、ひとりで頑張らなくちゃいけないんだ」
 来月出産を控えているいちばん仲のよい友人がそう話すのを聞いて、自分のことじゃないのにものすごく泣けてきた。初めての出産で不安な中、ひとりで産む。想像がつかなかった。
「わたしが頑張るしかないから、腹をくくったわ!」
 友人は勇ましいことを言っていたけれど、わたしはそれを聞きながら号泣した。
 妊娠は初めてのことばかり。ただでさえわからないことが多いのに、家でテレビをつけると「感染者が何人増えた」というニュースばかりを目にして不安になった。
 感染拡大について、たけるはわたしよりも楽観的に捉えていて、状況に応じて対処していくしかないと割り切っている様子だった。在宅ワークをしているわたしとは違って、たけるはずっと出社が続いている。感染のリスクがあるのに会社に行かないといけないなんて。
 わたしの不安を察して、たけるは友達との飲み会を控えてくれていた。
「この日、友達との飲み会があるんだよね。リモートで参加するかもしれない」などと気遣ってくれる。
 きっとわたしが止めるであろうことを察していたのだと思う。そうしてほしいのが本音だけれど、友達みんなが集まっている中で、気持ちよく飲み会に行かせてあげられないもどかしさを感じた。

 妊婦健診もひとりだ。二週間に一度、とくに問題はなく順調に育っている。お腹も大きくなってきて、ちゃんと育っているんだなと思う。
 3Dエコーはその場でたけるといっしょに見たかったけれど、ひとりで見た。健診後に動画をUPしてくれたからよかった。
「わあー、こんなに大きくなったんだね。どっちに似ているかな? 鼻は文音だね!」
 赤ちゃんの顔もはっきり見えるようになってくると、たけるも実感が湧いてきたようで、3Dエコーの動画を見ながらあれこれ話して盛り上がった。
「性別、そろそろわかりますか?」
 五月の頭の妊婦健診で、思い切って聞いてみた。先に妊娠している友人に時期を聞いて、目安を確認しておいた。そろそろ性別が判明する頃だ。
「ん、じゃあ見てみようか」と言って、助産師さんがエコーを動かして確認する。
 女の子がいいなと思っていた。妊娠してからお肉がなかなか食べられなくて、甘いものを無性に食べたくなった。わたしはそんなに甘いもの食べないのに。だから、ぜったい女の子だ。そう思ってエコーに映し出される姿をじっと見つめる。
 ちょうど小股を開いているところで画面が止まった。
「あ、男の子だね」と助産師さんが言った。「これがたまたまで、これがおちんで……」
「こんなにはっきりわかるんですね」
 あまりにもはっきり写っていたから笑ってしまった。間違いなく男の子だ。エコー写真は、男の子だという証拠写真になった。
 帰ってから話をすると、たけるはものすごく喜んだ。
「マーベル好きにさせるぞ!」
 好きなアメコミを子どもと楽しみたいようで、意気込んでいる。その様子を見て、男の子なら男の子なりの楽しみ方があるなと思う。よく、男の子って永遠の彼氏だっていうし。おもしろいのかな。性別がわかると、将来をいろいろと具体的に想像できるようになって楽しい。
 でも、女の子がほしかったという気持ちは残っていて、その後の妊婦健診でも数度「本当に男の子ですか?」と確認した。

 性別がわかってから本格的に名前も考え始めた。
「悠々自適の『悠』を使って、『悠月』にしようか」
 たけるとお風呂に一緒に入りながら、この名前は響きがいいね、それならこういう字を使いたいね、画数はどうかな、とあれこれ考えるのはすごく楽しかった。
 最終的に名前を決めたのは八月になってから。この頃はまだ、生まれてくる赤ちゃんとの生活を思い描いていて、この先わたしたちに起こることなんて想像もつかなかった。

第五話 心臓が逆にある?

 健診が月に一度になった六月の半ば頃、お腹が張りやすくなった。
「ちょっと内診してみようか」
 助産師さんに言われて、エコーを確認する。
「子宮頚管が二十七ミリになっていますね」と、説明された。どうやら短くなっているらしい。二十五ミリになったら入院なので気をつけてねと言われる。
 それだけではなく、衝撃的なことを言われた。
「心臓が逆にあるかもしれません」
 意味が全く理解できない。逆にあるってどういうこと? 位置が右にあるだけ? それとも逆転しているのか、それは心臓だけなの?
 人前で取り乱すのが嫌で冷静に振舞おうとするが、頭の中は混乱している。浮かんだ疑問をぶつけてみても、専門家ではないので申し訳ないがはっきりしたことは言えないと首を振られてしまった。
「大きい病院を紹介します。愛知県内の、子どもの病気に特化した病院です。そこに胎児の心疾患に詳しい先生がいるので診てもらいましょう。ご家族にもすぐに電話してください」
 病院を出てすぐに、たけるに電話をした。
「心臓が逆にあるって、どういうこと?」
 たけるに聞かれるが、わたしもわからない。
「とりあえず総合病院の紹介状をもらったから、次の日に連絡をして予約を取ってみようと思う。でも、とてもじゃないけど、わたし今日ひとりでいられる自信がないや……。できるだけ早く帰ってきて」

 たけるが帰ってくるまで、気が気じゃなかった。スマホで検索をくり返す。知識がない中で、ネガティブなことしか考えられなかった。
 心臓。逆。検索してヒットしたページを読み漁る。
 内臓もすべて逆という人もいれば、とくに影響が無かったという人もいるようだ。鏡のように内臓が反転してしまうのがいちばん危ないらしいということもわかった。人間の体の血流とは逆の血流になると、いろいろと障害が起こってしまうらしい。お腹の赤ちゃんは、このどれなんだろう。
 こんなことが起きるなんて考えていなかった。新型コロナウイルスの感染拡大など不安なことは多くて、ハッピーなマタニティライフというわけではなかったけれど、妊娠の経過に問題はなかった。産休に入るギリギリまで働こうと思っていた。家を建てる計画もあるし、結婚記念日から一年経ったから夫婦二人で最後の旅行に行こうねとも話している。子どもが生まれるまでにやりたいことをいろいろ浮かべている矢先の出来事だった。
 冷静ではいられず、実家にも電話で連絡をした。
「ええっ」と驚いた母は、落ち込んでいるわたしを気遣ってくれた。「今できることはまずは調べてもらってからだね。変に心配しすぎると、今はつらいと思うから」
 励ましと冷静なアドバイスをもらったが、その後もあれこれ検索をくり返した。

 たけるが帰宅すると、顔を見た瞬間に泣き崩れてしまった。「コロナだから手を洗ってうがいしよう」と冷静になってソファに二人並んで座る。
「どうしよう、なんでこんなふうになっちゃったんだろう」
 ネガティブな気持ちでいっぱいなわたしの説明を、たけるは涙目になりながらも静かに聞いてくれた。
「今できることは、すぐに健診を受けることだよね。いちばん早い日を予約して確認しに行こう」
「うん……」
「俺らの子どもだから、大丈夫だよ」
 たけるが言ってくれて、二人で抱き合いながら泣いた。
 親にも話したほうがよいだろうと話して、たけるが先にわたしの実家に電話をしてくれた。今後の段取りを端的に説明してくれる。子宮頚管が短いため車の運転も控えるよう病院から言われていたので、送り迎えなどのサポートもお願いする可能性があると、話をしてくれた。たけるの両親にも電話をした。義実家のほうが家も近く、すぐに動いてもらえそうなのは、お義母さんだ。同じように説明するたけるの声を、意識半分にぼんやり聞いていた。

 翌日、紹介してもらった総合病院に電話をすると、その日ちょうど予約の枠が空いていた。急だったので、病院までついてきてもらえないかと、お義母さんに電話をした。
「びっくりしたよね。まずは調べてもらったほうがいいよね。知ってからのほうが対策できるから、今のうちにちゃんと調べてもらおう」
 わたしを責めるわけでもなく優しい言葉をかけてくれて、ほっとする。
 結局、たけるが仕事の調整をして早退してくれて、病院までいっしょに向かった。
「ハヤカワです」と名乗った先生に、まずはエコーで確認しますと内診室に案内された。
 普段の妊婦健診では五分もかからずに終わる胎児エコーを、三十分以上かけていろいろと確認する。ハヤカワ先生ともう一人の先生が横について、わたしにも見えるようにモニターを映してくれたけれど、全然わからなかった。赤ちゃんはこんなに元気に動いているのに、どこが悪いんだろう。先生達は、その場では何も言わずにじっとモニターを見つめ「この後ご説明しますね」と内診室の奥に入った。
 診察室で説明を受けた。
「胎児によく見られる心臓の疾患は、心房中隔欠損症といって、心臓の四つの部屋のうち左右を隔てる壁に穴が開いて血液が混合してしまうものです。でも、エコーで確認したところ、赤ちゃんは心房中核欠損症ではなく、臓器にも悪いところはありません。お母さんを通して赤ちゃんを見ているので、障害物が多く細部までは見えないというのが現状です。今の段階では、心臓が逆にあることしか把握ができません。なぜ右にあるのか、引き続き探っていこうと思います」
 血液が混ざらないなら、重症というわけではないのか。少し安心しつつ、心臓が右にある理由が気になった。わたしの考えを読んだかのように、先生が説明を続ける。
「心臓が右側にある理由としてひとつ考えられるのは、肺に腫瘍があって、肺の腫瘍に押されるようなかたちで、心臓の位置が動いているという可能性です」
 逆転しているというより、そのまま右にずれているような感じらしい。
「肺は真ん中にあって何か膨らみができていて、それによって押されているように見えます。エコーではわからないので、CT検査を受けましょう」
 大きな問題は何も見つからなかったのでひとまずよかったが、原因がわかると思っていたのが先送りになって、もやもやは晴れなかった。

 上司には、不安なところが見つかって結果はこれから聞くことになると報告した。
「また結果が出たら教えてね」と言われたが、この先どうなるかわからず全く見通しが立たなかった。状況がわからないままでは、会社の人にも話せない。
 ただ、子宮頚管が短くなっていて、二十五ミリを切っていた。これ以上短くなったら入院することになるので、仕事もできる限り抑えるよう言われている。
 予定している産休よりも前倒しになるだろうと思い、引き継ぎの時期を早める調整をした。すでにリストを作って引き継ぎも九割方終わっていたのがよかった。資料のありかを共有して電話ならば出られると伝えると、同じ部署の方たちは「これからが大事だからね」「身体を優先してね」と気を遣ってくれた。問い合わせの電話がかかってきたのも一、二回くらいで、後はうまく進めてくれたようだった。

第六話 原因不明

 六月二十三日にCT検査を受け、一週間後の六月三十日に結果を聞きに行った。
「肺に腫瘍は見つかりませんでした」とハヤカワ先生は説明した。
 でも、原因は不明のままだ。
「今、仕事をしていますか?」
「在宅でデスクワークをしています」と答えると、やや渋い顔をされる。
「そうですか……。お仕事は、もうやめてください」
「在宅ワークでもだめですか?」
「だめです。トイレとお風呂以外は寝ていてください。家事も全て旦那さんに任せてください」
 きっぱりと言われて、ああ、仕事どうしようと思った。迷惑をかけてしまう。
 担当している業務は、以前わたしが休職したことでうまく回らなくなっていて、パート社員の方への業務指示やフォローを早く誰かに共有しなければと思っていた。でも今の状況では、仕方がないだろう。そのまま働いていてもまた迷惑をかけることも多くなってしまう。いちばん子どものことを考えなきゃいけない時期に、仕事に時間を取られてしまうのは嫌だなと思った。

 家に帰って、直属の上司に報告をした。健診で聞いた赤ちゃんの様子と、在宅ワークもやめるように言われたことを説明する。
 しばらくすると、社長から電話がかかってきた。迷惑をかけることを申し訳なく思いながら事情を説明すると、真っ先に業務のことを聞かれた。
「引き継ぎはどこまで済んでいますか?」
 第一声がそれか、と思う。この人はやっぱり、わたしとは価値観が合わない。
 社長はわたしと同い年だ。家族経営の会社だから、先代社長はすでに最前線を退き、会長となっている。引き継いだ息子の社長はまだ若い。
 社長の奥さんも同じ会社で働いていて、妊娠中も出勤していた。つわりの時期は傍目からもしんどそうな様子で、「お休みしてはどうですか」と声をかけたが、会長が社長のお母様だということで配慮してもらえなかったらしい。夫婦ならば、社長は仕事よりも奥さんを尊重するべきなのではないかと思っていた。
 そんな社長の態度は、社員に対しても変わらない。仕事を回さなければいけない立場にあることは理解しているが、それにしても言い方があるだろうと思う。
「会社のパソコンを、持ってきてもらうことってできる?」
「いえ、なるべく動かないようにと言われていまして」
「じゃあ旦那さんだったらできるよね?」
「……相談します」
 在宅ワークだからパソコンは家にあるけれど、返却のためにわざわざ出社しなければいけないのか。郵送などの手段もあるだろうに。
 その後も、電話の内容は書類やパソコンなどの事務的な手続きのことばかり。わたしの身体を労わるような言葉は一言もなかった。早く電話を切りたそうな雰囲気が伝わってくる。わたしは対応できることを淡々と回答した。
 翌日の七月一日から、仕事を休むことになった。現実的に今日だけで業務を片づけるのは難しいので、今週いっぱいは引き継ぎを進めて、週末から本格的に休みに入ることになる。
 赤ちゃんの状態も少しだけ話したが、「うちの子と同じくらいに対面できるね」という返事だった。そんなことを言うなんて、ほんと信じられない神経してる。こちらは不安なことばかりなのに。なんでそこにいきつくの? と思いながら電話を切った。

 その日は早めに寝室に向かった。赤ちゃんに元気に会えるように、できるかぎりのことはしたい。安産を促す骨盤ケアなどを少し調べて、とこちゃんベルトを購入した。
 そろそろ寝ようと思って横になると、いろんな考えが頭を巡った。涙があふれてくる。抑えきれない感情が噴き出して、たけるを起こして泣きじゃくった。
「大丈夫、大丈夫」
 眠いだろうに、体を起こしたたけるはポンポンとわたしの腰を叩きながら受け止めてくれる。しばらくすると急に恥ずかしくなって、「やばい、おならが出そう」とはぐらかした。
「あのね」
 ひとりでぐるぐる考えていたことを話せそうだ。
「赤ちゃんも心配だけど、どんなかたちになっても最善を尽くせるようにしようと思って。わたしは、切迫早産が少しでもよくなるように努める。仕事は……頑張ってきたけれどパーになっちゃった。会社にも連絡したけど、社長からの電話、社員の身体よりも業務のことばかりで。悔しいよ」
 涙をぼろぼろ流しながら話すと、たけるは優しく言ってくれた。
「仕事はいい。社長に話すと言ったときから、常識外れなことを言われる気がしていたよ」
 そこまでわかってくれているんだと感心する。
 安心してわたしが離れると、たけるは横になって、また眠い様子を見せた。
 ありがとう、とたけるに感謝する。心がすーっと軽くなり、考えていたことがメレンゲの泡のようにシュワシュワ溶けていくのを感じた。

 仕事を休んでからは、寝たきりの生活になった。歩くだけでもお腹が張ってしょうがない。動くのも最低限になった。朝ごはんはたけるに作ってもらい、昼ごはんは買っておいてもらったお弁当を温めて布団で食べる。
 お腹の赤ちゃんはよく動く子で、蹴られるたび、今日も元気に動いているなと喜びを感じていた。でも、やっぱり不安の方が大きい。次の健診で胎児エコーを確認するまで、何も進まない。ひたすら待つことしかできない。出産や産後の準備をしようと思って雑誌も買っていたけれど、読む気になれなかった。スマホで検索してはまた落ち込んだり、子宮頚管が短いと言われたけれど普通はどれくらいなんだろうなと考えたりしていた。
 五月に出産した仲のよい友人は、二年の不妊治療を経て子どもを授かっていたので、出産したときはわたしもとてもうれしかった。でも今は、素直に喜べない。よかったなと思う半面、わたしの赤ちゃんは大丈夫なのかなと考えてしまう。電話でさらっと事情を話すと、友人も深くは聞いてこなかった。
 元気な子どもの姿を見るたびに黒い感情が湧いてくる。そんなふうに考えてしまう自分ももう嫌で、インスタのストーリーをミュートにした。
 妹にだけは不思議と羨ましいという感情が湧いてこなかったので、よく電話していた。社会とのつながりは、たけると、妹との電話だけだった。
 切迫早産を少しでもやわらげようと、たけるはいろいろと調べたり、骨盤ベルトの効果的な締め方を夜中に試したりしてくれた。仕事中もお昼休みには必ず連絡をくれて、テレビ電話で「今日のお昼ご飯は何でしょう?」とクイズを出して気をまぎらわせてくれる。
 部屋が乱れていく中、毎日遅く帰ってきても、たけるは文句も言わずに色々とやってくれた。すごくありがたかった。絶対に大変だろうに。きっと、イライラする人もいるだろうに。こうして家で寝たきりのようになっているわたしでも他愛のない会話をして生活できるのは、たけるのおかげだ。この人と結婚してよかったな、と思った。

第七話 緊急入院

 次の妊婦健診は七月七日。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、付き添いは一人しかできないのに、両親が休みを取ってくれた。父が車で送迎をして、母が付き添いをしてくれる。子宮頚管の長さに特に変化はなく、引き続き家で様子を見ることになったが、いつ入院してもおかしくないから準備をしておくよう言われた。
 しかし、その二日後、九日の夜中から急な腹痛に襲われた。陣痛かもしれないと思い、三十分続いたら病院に電話をしようと心の中で決めた。痛みが治まらず、夜中の三時ごろにたけるを起こした。
「すぐに来てください」
 病院に電話をすると、入院の準備もしてくるように言われた。
 いつもと違う夜間当直の先生が現れて、お腹の張りが何分おきにくるのかを計測した。
「子宮頚管も短いし、張りも定期的にきているので、二十四時間点滴をつけて即入院します」
「え、家に帰れないんですか?」
 慌てて言うが、問答無用という感じで入院の部屋に通される。すぐに帰れるものだと思っていた。入院手続きをたけるがやってくれて、そのあいだに張り止めの点滴の針を刺された。血管が細いようで、何度も針を刺し直された。
 朝になるとハヤカワ先生がきて、「しばらく入院しようね」と声をかけられた。
「妊娠三十三週がボーダーラインなんです。それを過ぎれば、赤ちゃんの肺がきちんと形成されてる状態になってるから、それまでお母さんのお腹の中にいるのが安心です。この病院では三十三週未満での分娩ができないので、別の病院に転院しないといけません」
 三十三週まで、あと二十三日。退院の時期はそれ以降になるらしい。入院中は、張りや子宮頚管の長さを確認しながら、胎児のエコーも見て要因を探っていくと言われた。
 病室は個室で静かだった。他の個室も空きが多く、病棟内に入院患者がわたし一人だけということもよくあった。主に赤ちゃんに何か疾患のある妊婦の入院を受け入れているから、そんなに人数が多くないのだろう。
 お腹が大きくなっていて、ベッドに横になっていても足が痺れた。腰も痛い。動かずにじっと寝ているのがつらくてフラストレーションが溜まった。
 病院の窓は開けられない。「もう外は暑いから、そっちの方がいいですよ」と助産師さんは微笑んだが、わたしはその暑さを感じたいと思った。
 今日は暑そうだねー、パパ仕事頑張っとるかなーと話しかけながらぽんぽんとお腹を叩くと、赤ちゃんは、ぽんぽんと返してくれた。お腹の中にいるときからこんなに返事をしてくれるんだ。こんなに頑張って生きようとしている。すごく感動したし、うれしかった。
 たけるも仕事終わりに差し入れを持って面会に来てくれた。今日はこんなふうに動いたよ、と話したり、名前の候補を一緒に考えたり、一時間ほど話して帰った。きっと、わたしが入院しているあいだはすごく頑張って生活していたと思う。仕事で疲れているのに面会に向かい、帰ってからご飯を作ったり洗濯したりしていたのだろう。
 回診は毎日あったが、子宮頚管の長さを測る検査は週に一度だった。外来が空いているタイミングでの検査になるので、いつになるかはわからない。「今日検査があるかもよー」と看護師さんに言われるたび、短くなっていませんようにと心の中で願った。でも、願いは届かず、徐々に短くなっていった。

 二週間の入院のあいだに、赤ちゃんの心臓もエコーで確認をした。最初の検査には、たけるも一緒に来てくれた。
「今ちょっと急患が入ってしまったので、ちょっと待っていてください」
 エコーを確認した後にすぐに結果を聞けるものと思っていたら、説明してくれる胎児の心疾患専門の先生は忙しく、しばらく待つことになった。看護師さんにも、結果を聞くのが深夜になることもあると言われ、待っているあいだは気が気じゃなかった。
 予想よりも早く、二時間後ほどで戻ってきた先生は、心臓の図が描かれた紙を取り出し、慣れた様子で説明してくれた。心臓の血液の流れ、疑わしい部分と考えられる病気、専門用語ではわかりづらいことも丁寧に教えてくれる。
「ただ、お母さんを通して見ているから、なかなか特定できないですね」
 考えられる病気をいくつか説明され、そのどれも確定ではないと言われる。お腹の中にいるあいだは障害物が多く原因が特定できないので、生まれてからきちんと検査をしましょうと言われた。生まれてすぐに手術をしなければいけないような状況ではないらしい。
 原因がわかれば、これからやるべきことが見えて、少しは安心できるのに。先が見えない不安に押しつぶされそうになるが、人前で泣くのは避けたい。先生の言っていることをひたすら理解することを徹底した。感情に振り回されちゃだめだ。現状を受け止めることに集中しよう。
「もしかしたらこれは全部疑わしいだけで、何も問題がない可能性もあります。というか僕は、そちらの見立てのほうが大きいと思います。医師として何もないですとはさすがに断言することはできないので、考えられる要素をすべてご説明しますが、当てはまる疾患がある可能性のほうが低いんじゃないかと考えています」
 わたしとたけるの表情を見ながら、先生は励ますように言葉を継いだ。
「今はお腹の中にいるから何も治療ができないし、わかることも少ないです。お父さんとお母さんにできるのは、この子が生まれてくるのを心から楽しみにしてもらうこと。それが唯一できることです。生まれてくることを楽しみにしてください」
 先生にそう言われて、はっとする。確かに、心配なことばかりを考えていた。この子が生まれたら何がしたいとか、そういうことを全然考えてあげていない。
 説明を受けた後、診察室でたけると二人になって顔を見合わせた。
「子どもが生まれるのを楽しみに待っていてくださいっていう言葉、泣けたよね」
 生まれた後のことも考えながら、楽しみに待ってようね、と話す。
「今わかるのは心臓の位置がずれているということだけ。先生の言う通り、何も疾患がない可能性だってあるんだ。それなら俺は、何もないんじゃないかなって思う。大丈夫だよ」
 たけるは、先生の言葉を前向きに捉えて励ましてくれた。
 確かに、色々と調べて不安になっていたけれど、そんなに考えることじゃないのかもしれない。悲観的にばかりなるのもよくない。
 その日をきっかけに、気持ちを切り替えられたように思う。
 たけるとも、「この子は奇跡の右心臓だ」などと冗談を言えるようになった。もしナイフで心臓を刺されても、普通の人は致命傷で死んでしまうかもしれないけれど、この子は右に心臓があるから死なないぞ、とふざけて話す。赤ちゃんにも「お前は大丈夫だぞ」「強いから大丈夫だなー」と声をかけられるようになった。

第八話 再入院と刺さらない針

 七月十八日。二週間の入院生活を終えて、久しぶりに家に帰った。
 しかし、その一週間後くらいに茶色いおりものがあった。病院に電話をすると「妊娠三十五週に入るまで入院してください」と言われ、また救急で外来にかかった。
 内診で、先生は綿を詰めて様子を確認する。
「今は出血はありませんが、確かに、古くなった茶色いおりものが出ている跡がありますね。ちょっと怖いので、このまま入院しましょう」
 またか。このあいだ退院したとき、すぐ出戻らないように気をつけますって看護師さんに言ったのに。せっかく退院できたのに。やりたいことをいっぱい我慢してきたのに、なんでまた入院なの?
 ベビー用品を選びに行きたかった。たけると二人で旅行もしたかった。美味しいものも食べに行きたかった。二人で赤ちゃんの名前を考えたかった。二人の時間をいっぱい楽しみたかった。
 頭ではわかっているのに、心が全然追いつかない。なんでわたしばかりなんだろう。なんで。
 こんなんでママになれるのかな? と思う。ネガティブな想いがあふれて止まらない。
 たけるに会いたい。家に帰りたい。
 わかってる。一番大切なのは、赤ちゃんを無事に産むことだ。一日も長く一緒にいて、お腹の中で育てること。妊娠三十三週を無事に迎えて、次は三十六週までお腹にいてもらうことが重要だとわかっていた。終わりが見えている。
 今はたくさん充電するとき、と思うことにしよう。我慢もいっぱいしているけれど、きっとこの先に楽しいことがたくさんあるんだろう。人生は、起伏がなくちゃ楽しくない。いっそ落ちてやれ、そうやって我慢して、きっといつか訪れる大きな幸せを思いきり楽しんでやるんだ。
「いっしょに頑張ろう」
 赤ちゃんに話しかけて、前向きに受け入れようと決意する。
 たけるも入院の手続きに慣れていて、ちょっと笑えた。
 朝起きて、スマホでテレビを観る。ご飯を食べてお腹の張りを測って、測りながらもテレビを観る。 テレビに飽きたら本を読む。そういう生活のくり返しで、だんだん暇になってくる。
 妊娠三十六週までいるって決めたのはわたしなのに、すごく家に帰りたかった。
 たけるが面会に来てくれて、一緒に過ごす時間が一番リラックスできる。離れがたくて、帰り際は決まって引き留めてしまう。たけるは、一度目の入院のときは土日どちらも面会に来てくれていたけれど、さすがに疲れてきたようで今回は土日片方だけになった。
「両方来てよ。いやごめん、ゆっくりしたいよね、いいよ来なくて」
 駄々を捏ねてみては、冷静になってやっぱり大丈夫とLINEでメッセージを送った。

 頑張ろうと決意して入院したとはいえ、入院生活が続くと落ち込むこともある。ひとりでいると、急に泣き出してしまう日もあった。「大丈夫だよ」と赤ちゃんに話しかけながら、半分は自分に言い聞かせているのかもしれない。
 二十四時間の点滴で、強い副作用が出る。手の震えが止まらないし、体がずっと火照っているような感じがする。思うように体が動かない。ずっと寝ているから痛い。神経質になっているからか体をあまり触られたくなくて、看護師さんにも失礼な態度を取ってしまう。
 おまけに、点滴の針はなかなか刺さらなかった。初めて替えたときは、三回だめで四回目でようやく刺さった。次のときは、六回目で刺さった。
 看護師さんに申し訳ないことをしている気持ちになる。一人刺せないと次の看護師さんを呼んで、また次を呼んで、最終的にわたしの部屋に三人も四人も看護師さんがいるような状態になった。
 三日に一度替えると言われていたのに、「針を何度も刺し直すのは本人も嫌だと思うので、ギリギリまで保たせましょう」と言われ、一週間に一度しか替えないこともあった。でも入院しているからには、さすがにどこかしらのタイミングで替えなくてはいけない。
 注射がものすごく嫌いなわけではないのでそこまで不快に思うことはなかったが、刺せないので看護師さんは申し訳なく感じているらしい。うまく刺さらないからやりたくないと思っている様子も感じた。
「今日は頑張って保たせようね」
 交代のときに看護師さんが挨拶にきてくれるけれど、自分が刺したくないからそんなことを言うんだろうなと思って、なんだか嫌になる。刺さらないのはしかたがないけれど、嫌々されるのはこちらも気分がよくない。
 点滴には、送り出すポンプと機械がついていて、点滴が滞るとピーピーとアラームが鳴った。二十四時間つけているので、夜中も鳴る。
 左手に針を刺せるところがなく、利き手の右手に刺していた。利き手を自由に使えないストレスは尋常じゃなかった。ご飯を食べるときもアラームが鳴るのを見て、一人の看護師さんに「あんまり鳴っても困るので、左手で食べましょう」と言われた。
 入院中、食事のたびに左手で食べるのもつらい。さすがにもう無理。我慢の限界がきて、挨拶に来てくれた婦長さんに涙ながらに訴えた。
「左手で食べてくださいって言われたんですけれど、どうにかならないんでしょうか」
「え、そんなこと言われたんですか?」と、婦長さんは驚いた様子を見せた。「右手を固定するものを持ってくるので、それを試してみましょう」
 婦長さんが持ってきた固定器具のおかげで、点滴のアラームが鳴ることなく右手で食べることができるようになった。左手で食べるようにと言った看護師さんは、苦手になった。
 シャワーを浴びるときも、点滴にビニール袋を被せて水が入らないようにする。水が入ったら針を刺し替えることになるからと言われて、神経を使った。点滴の残量がわずかで、あと数日で針も刺し替えるだろうというタイミングで濡れると、深いため息が出た。
「今日はちょっとお風呂はやめておきます」
「え、お風呂いいの?」
「いや……点滴をまた刺し替えるのはいやなんで」
 そんな会話をすると、看護師さんになるほどねという顔で納得されるのもストレスだった。
 ハヤカワ先生には、とにかく安静にするよう言われた。
「これ、たぶん指を入れたらするっと入るくらいゆるくなっています。今までよりも一層、動かないでくださいね」
 言われた通りにしているのにと思っていたら、表情を読んだのか、ハヤカワ先生が困ったように笑う。
「だけど、今も全然動いてないよね。これで妊娠四十週まで持ち堪える人もざらにいるから、出産って何があるかわからないよねー」
 いろんな人がいて、いろんな出産のかたちがある。数多くある出産の中のひとつなのだと言われたような気がした。
 出産が怖くて、スマホでいろいろと検索をして体験談を読んだ。わかったのは、人によって違うということ。それがいちばん怖かった。果たして、わたしは乗り切れるんだろうか。
「わたし、産めるかな」
 実家の母に電話をかけると、不安を吹き飛ばすように笑ってくれた。
「大丈夫。始まっちゃえば、産める産める! 流れに身を任せるだけよ」
 母の一言で腹を決めた。ちゃんとこいよ、と、お腹の赤ちゃんに話しかけた。

第九話 名前

「赤ちゃんの名前なんだけどさ」
 面会に来てくれた日、たけるは言った。
「『明日人』って名前はどうだろう? 明日に、ちゃんといけるように」
 病気があるかもしれない。ちゃんと生まれてくるかどうかも心配な状況だ。赤ちゃんの名前は、希望にあふれた名前にしたいねと話していた。
「なんだかキラキラすぎない?」と返事する。方向性はいいんだけど。
 たけると名前の候補を出し合って、たくさん話して、ついに決まった。
 名前は『あさひ』。
 どんなときも、朝日は昇ってくるから。病気があったとしても、この子は、ちゃんと次の日を迎えられるように。この先どうなるのかわからないけれど、いつかわたしたちは子どもよりも先に死んでしまうだろう。子どもが困らないようにしてあげようね。
 たけると話しながら、生まれてくる赤ちゃんと、未来のわたしたちを想像した。涙が止まらなくなった。

 妊娠三十六週に入った時点で退院をしてもよいと言われ、たけるのお盆休みに合わせて退院することにした。本当は妊娠三十七週まで待ちたかったけど、もう生まれてきてもいいなと思う。
「帰ったら、すぐ生まれる気がするんだ。家で陣痛がきたら、ちょっと腰とかさすってほしいなー」
 たけるにそんな話をして、退院したその足で義実家に寄った。
 とにかく美味しいものが食べたい。病院食に飽きていて、まずはラーメンが食べたかった。新型コロナウイルスの感染がまだ懸念されている状況で外食は難しかったので、美味しそうな袋麺を買ってチャーシューを作り、お店で出てくるようなラーメンを食べることができた。それが、退院して初めての食事だった。
 義実家でも退院を喜んでくれて、夜ごはんには、お義母さんがヒレステーキを買ってきてくれていた。
 夜、ソファでたけるが寝落ちしていた。その寝顔を見ながら、やっぱり家っていいな、と思う。のんびりできることがこんなにありがたいなんて。いつもなら腹が立ついびきも、なんだかすごく愛おしく感じた。眠っているたけるのムービーを撮りながら、じーんときてしまう。

 退院して三日後の八月十五日。朝から水っぽいおりものがサラサラと出ている感覚があり、昼頃に病院に電話をした。
 病院に行くと、内診をした先生がリトマス試験紙をおりものに当てる。診察台から降りて、別の部屋で話を聞いた。
「この紙は、破水していると色が変わるんです。色が変わっているので、これは破水していますね。高位破水です。入院になります」
「家で、本格的な破水が起こるまで待っていてはダメなんですか?」
 思わず質問した。
 想像していた出産は、陣痛から始まるものだった。たけると二人で家にいるときになんだかお腹痛いかもみたいな感じになって、そこから二人で耐えて病院に行くという流れを想定していた。
「破れた卵膜から雑菌が入り込んで、赤ちゃんが感染症を起こしてしまう可能性があるので、高位破水でも入院していただきたいです」
 ハヤカワ先生は、きっぱりと言った。
 今から入院するということは、本番の陣痛がくるとき、わたしはひとりで陣痛に耐えなくちゃいけないんだ。急に恐怖感が湧いてきて、本当に子どもを産めるのかなと不安になる。
 でも、いよいよなんだ。出産するんだ。
「今日は土曜日なので、次の火曜日まで様子を見ます。火曜日までに生まれなかったら、促進剤を打って考えましょう」
 それはいやだ、と思う。人工的に出産を促すのはできれば避けたい。先生には申し訳ないけど、土日のあいだに産みたいぞと心の内で誓った。
 そのまま病室に通された。夜の担当の看護師さんが「コレカワです」と挨拶にきてくれて、ベテランの看護師さんだとわかった。助産師さんも、入院期間からお世話になっているハラダさんだ。気が合うし、話しやすい。
 これって、もしかして今日がベストタイミング、ベストメンバーじゃない?
 閃いて、スマホで日柄も調べる。翌日の十六日は友引、十七は先負、十八日は仏滅。このタイミングを逃したら、次にいい日柄になるのは水曜日だ。それまでには絶対生まれてしまう。
 じゃあ、明日産まなくちゃ!
 夜ごはんを食べてから就寝までの三時間ぐらいのあいだに、スクワットをしたり足踏みをしたりして過ごした。ベッドに座って、足首から指三本分くらい上も、押した。陣痛がくると言われているツボだ。
「あさひ、早く生まれてきてね。待ってるよ」と、お腹を撫でて話しかけた。
 夜中くらいに陣痛がきて、朝に出産できるといいな。ベッドに横になって目を閉じながら、理想の出産シナリオを思い描いた。朝日が昇ると同時に誕生したらすごく素敵だ。

第十話 破水

 夜中、お腹に違和感を覚えた。ぱっと起きると、さーっと水のように流れるのがわかった。何事!? 驚きつつも、どこか冷静な自分がいる。破水だ。お手洗いに駆け込んでナプキンを当てた。よし、計画通り。これなら朝に産めそうだと思った。
「破水したみたいです」と、看護師のコレカワさんに伝えると、分娩室に移ることになった。たまたま入院しているのがわたしだけで、分娩室が空いていたようだ。急いで着替える。コレカワさんが産褥パッドを当ててくれて、破水で濡れたシーツはてきぱきと新しいものに変えられる。手慣れた様子に、やっぱり今夜は安心できそうだなと思う。
「初産なので、すぐにはお産が進まないでしょう。旦那さんへの連絡も、もう少し待ってからでもいいかもしれません」
 そう言われたけれど、一応話だけはしておこうと思ったのが夜中の一時半ごろだった。

 立ち会い出産を希望していた。出産の瞬間でなければ体験できないものがあるだろうと思った。その瞬間を、たけると一緒に分かち合いたい。「立ち会い出産を希望しているんだけれどどうかな」と話したとき、たけるも「立ち会おうと思っている」と言ってくれた。立ち会い出産の説明も病院から受けていた。
 まだ早いかもしれないけれど、いざ出産となったときに、寝ていて連絡が取れないほうが困る。たけるにメッセージを送った。
「陣痛がきたっぽいけれど、まだ子宮口も開いていないから来なくて大丈夫。来る準備はしておいてね」
 たけるは、ソファで寝落ちしていたらしい。連絡ありがとうと返信が来た。
 内診でぐりぐりと手を入れられ、子宮口を確認される。少しビビったけれど、全然痛くなくて拍子抜けした。
「柔らかいから、今日の朝頃には生まれそうですね」
 助産師のハラダさんに言われて、よし、と思う。
 陣痛はまだ耐えられる程度の痛みで、周期的でもない。もともと生理が重いからか、この程度なら我慢できそうだなと思った。できるだけ眠って体力温存するように言われたが、興奮してなかなか寝つけなかった。

 三時半頃、激しい痛みがきた。
 これはやばい。慌ててたけるに電話をした。部屋につきっきりでいてくれたハラダさんにも訴えた。
「もうこれダメです、めちゃくちゃ痛いです!」
「もう一度見てみましょう」とハラダさんが様子を見てくれる。「ああ、これなら八センチくらいなので、もうすぐだと思いますよ。今のうちにお手洗いも済ませておきましょう」
 すぐってどれくらいなんだろう。陣痛と陣痛の合間にお手洗いに向かったが、たどり着いたらもう全然動けなくなってしまった。用が足せない。なんというか、出し方を忘れたというか。出産のときにしたくなったら嫌だなと思うのに、もう立ち上がれないし何もできない。
「大丈夫ですか、扉を開けますね」
 外から声がして、ハラダさんに連れ出してもらった。
 アクティブチェアに乗れそうかと聞かれた。座ってゆらゆらさせて、陣痛を促進させる椅子だ。無理だと思った。しんどいですと答える。吐き気もする。
 あさひ、頑張ろうね。お腹の赤ちゃんに向かって声をかけながら、何度も痛みに耐える。
 駆けつけてくれたたけるも、すぐ隣に来てお水をくれたり汗を拭いたりしてくれる。でも、なんだかタイミングが合わない。痛いときに水を差し出されても、飲めるわけがない。汗を掻いているわたしを見てたけるは拭ってくれようとするけれど、陣痛のあいだは体に触れられるのも嫌だった。ちらっとたけるの表情を見ると、どうしたらいいのかわからないという困惑と、頑張れよというようなまなざしを感じた。
「わたしが言ったときだけちょうだい」
 いてくれて心強いけれど、男性は出産のときには頼りにならないんだなと思った。

 ついに子宮口が全開になった。痛みに耐えることに集中しすぎて、もはや陣痛が何分間隔できているのかもわからない。
 いつ終わるんだろうと思って、ぐっと体を反らせて時計を見上げた。五時。まだ五時か。
「あとどれくらいで生まれますか」
「何とも言えないけれど、昼までには生まれると思いますよ。十時ぐらいかな」
 どうやら、まだまだ道のりは長いらしい。
「子宮口は全開になりましたが、まだ赤ちゃんは降りてきていないです。もうちょっと頑張って、少しずついきんでいきましょう」
 そう言われていきもうとするけれど、一カ月半もほぼ寝たきりの状態だったので、びっくりするほど足腰に力が入らない。仰向けでは難しいので、横を向いたままいきみましょうと言われた。タイミングに合わせてハラダさんがお尻のあたりを押してくれる。
「お尻から出そうなの、わかる?」
 ハラダさんに聞かれて、なんだか恥ずかしいけれど、いきんで出さないと、この痛みからずっと逃れられないんだと思った。
「これ、赤ちゃんの頭なの。ここまで降りてきているから、もうちょっと頑張ろう」
 ハラダさんが押し続けてくれる。
 六時ごろに、分娩室にハヤカワ先生がちらっと様子を見に来た。
「先生、痛すぎる……。今からでもいいから帝王切開にならないですか」
 陣痛がつらくて訴えると、すごく冷静に返された。
「まあね、今から帝王切開にすると、傷の痕も残りますし、二人目の出産なども希望通りにいかない可能性もありますので、このまま産みましょうね」
 いつも少しくすっと笑えるようなことを言う、ハヤカワ先生らしい返しだなと思った。
 お世話になったハラダさんには、弱音を吐き続けていた。
「もうわたし、頑張れません」と言うと、
「まあそうだよね、つらいよね。もうちょっと頑張ってみようか」と励ましてくれる。一度受け止めてから励ましてくれるのが、やっぱりベテランだなと思った。
 何も言わなくても、ハラダさんは必要なタイミングで腰を押してくれる。頑張っているのに、微弱陣痛になってしまった。促進剤を入れますと言われて点滴に促進剤が加えられ、再び強い痛みが何回かくるようになった。
「そろそろ産みましょうか」
 仰向けの体勢にされる。気がつけば、ベッドが変形していた。足を置く場所もできている。すごい、と思いながら、痛みがきてううっとなる。
 全然いきむことができなくて、全開になってからがものすごく長く感じた。あさひ、大丈夫だよ。あさひ、もう少し頑張ろうね。語りかけながら、痛みに耐えた。もう始まっているからいつかは終りがくるだろう。一刻も早く終わりたいから頑張るぞ、と思った。

第十一話 出産

「髪の毛が見えるよ」と言われた。
 髪の毛が見えたならもうすぐじゃん。そう思うけれど、そこからもまだ長かった。
 周りがバタバタし始めて、何が起こったのかと思う。どうやら、赤ちゃんの心拍が落ちていて、すぐに取り出したほうがよいと判断されたらしい。ちゃんと呼吸していてくださいねと言われるけれどもなかなかできなくて、酸素マスクをつけてもらう。
 ハヤカワ先生が来て、ぴぴっと会陰切開される。
「次、いきむとき、ちょっと手助けするね。今まででいちばんいきんでね」
 手助けって何? よくわからないけれど、もういきむしかない。ううっといきんだ瞬間、先生が少し高い台のようなところから、お腹をぐうんっと押した。骨がばっと広がる感覚があり、赤ちゃんが出た。

 産声が聞こえない。大丈夫かな。意識がもうろうとしてよくわからない。
 NICUの先生たちがばばっと分娩室に入ってきて処置をして、泣いている声が聞こえた。ああ、よかった、泣いてた。
 本当はカンガルーケアを希望していたけれど、あさひは一瞬対面してすぐにNICUに連れて行かれてしまった。
 一瞬見せてもらったあさひの姿は、真っ青で、梅干しみたいな顔をしていた。元気がなさそうに見えた。全身が見えて、男の子だなと思う。早く生まれたので心配していたけれど、思ったよりも普通の赤ちゃんの大きさに思えて安心した。けっこうちゃんと育ってくれていたんだな。よしよし。
 やっと生まれた。これがわたしの子どもだ。その一言に尽きる感じだった。かわいいとかそういう感情が生まれてくる余裕はもうなかった。
「お疲れ」と、たけるも声をかけてくれた。
 なんだか、わたしもたけるも、驚くほど冷静だった。感極まって泣くようなことはなくて、まず無事に出産を終えてほっとしていた。静かな喜びだ。生まれた瞬間のあさひの姿を一緒に見ることができて、このときを二人で共有できてよかったな、と思った。

 処置があるからと言われて、たけるは部屋の外に出された。
「胎盤がまだ出ていないので、出しましょう」
 ハヤカワ先生がお腹を押したり、へその緒を引っ張ったりして、胎盤を出そうと試してくれる。でも全然出なくて、しまいには、へその緒が切れてしまった。
「もう引っ張れないので、中からわたしが剝がします。ただ、控えめに言っても、とても痛いです。麻酔ができないので、申し訳ないけれど耐えてください」
 せめてものという感じで痛み止めの注射をしてから、ハヤカワ先生が長い手袋を嵌めて、わたしの中に手を突っ込んだ。看護師さんがわたしの足を押さえ、また別の看護師さんは頭を押さえる。痛すぎて、暴れながら叫びまくった。
 ハヤカワ先生が必死にエコーを頼りに取り出しているのがわかっていたので、無事に胎盤を取り出した後、思わず「お疲れ様です」と言ってしまった。
「ごめんね、痛かったよね」
「しょうがないです。先生もお疲れ様です」
 出産よりも痛かった。たけるがいなくて本当によかったと思った。
 その後は、ハラダさんが服を整えたり、水を持ってきてくれたりと、いろいろと産後のケアをしてくれた。わたしはされるがままだ。
 バースプランで「胎盤を触ってみたい」と希望していたので、バッドに乗せて持ってきてくれた。すごいな、レバーみたいだなあ。赤ちゃんに触れる面は牛のレバーのようで、自分についていた面はモツのようだった。ひだひだもついていて、色もちょっと灰色っぽい。胎盤は表と裏でずいぶんと違うんだなと思った。

 朝の担当の方に代わった。看護師さんと、助産師さん三人が来てくれる。
 初乳を大事にする病院だったので、胸元を開けられて、助産師さんが乳頭をほぐして綿棒のようなものに初乳をちょんちょんとつける。「赤ちゃんに届けますね」と笑顔で言われたけれど、すごく恥ずかしかった。
 朝の担当の方はにぎやかなメンバーだった。よく喋るおばちゃん助産師さんだ。穏やかな感じで話すコレカワさんと代わって、分娩室は急に騒がしい空間になった。静かにしてほしくて、だんだん不機嫌になってしまう。
 一人が点滴を抜いてくれるが、いろいろ教えてもらいながら作業を進めている。
「もしかして初めてですか」
 そう聞くと、「はい初めてです」と悪びれもなく答える。出産して疲れているところなのに、今初めてのことをするのかと思う。
 朝ごはんを食べるかと聞かれたので、持ってきてもらった。食事中にたけるが戻ってきて、牛乳を飲みながらお義母さんに電話をしたり、実家と連絡を取ったりした。

 一時間ほどゆっくりしてから、病室に戻ることになった。
「病室まで、歩きます? それとも車椅子に乗ります?」
 どちらがよいかと聞かれたが、もううんざりしていたので「いいです、病室まで自分で歩きます」と答えた。
 病室に戻ったのはいいものの、お手洗いに行ってもなかなか出なかった。出し方がわからなくなっていた。トイレに籠って粘ってみるけれど、出血量が多くなるのであまり長く便座に座らないでくださいと言われてしまう。
「全然出ないんです」と言うと、看護師さんがトイレに入ってきて、こうやればいいと体勢の工夫を教えてくれる。ドアが大きく開いていて他の看護師さんにも見える状態で、こんな状態で恥ずかしくてとてもできないよと思った。

第十二話 NICUでの面会

 あさひには、出産の瞬間しか会えていない。
「赤ちゃんに、いつまた会えますか?」
「NICUから連絡が来ないと会えないんです。お昼を過ぎるかもしれないね。夜中ずっと分娩で体も疲れていると思うので、少し寝ましょうか」
 そう言われて、ベッドに促される。たけるも、報告がてら家に帰って身支度を整えてからまた来ることになった。
 横になるけれど、産後ハイで全然眠れない。ベッドの上でぼーっとしながら、時が過ぎるのをじっと待った。
「おしっこ、出ました?」
 看護師さんが様子を見に来た。出てないと答えると、尿道カテーテルをするかと聞かれる。分娩のときはもはや恥じらいも何もなかったのでよかったが、落ち着いた今となってはちょっと躊躇してしまう。もう少し頑張りますと言って、退院するまでリハビリのような感じになった。
 たけるが戻ってきて、一緒にお昼を食べた。NICUから、子どもと面会ができると連絡があって、一緒に会いに行くことにした。会陰切開の痕が痛いので、円座の車椅子を用意してもらい、それに乗って向かった。

 NICUには、ざっと見て十人ほどの赤ちゃんがいた。間隔を取っているからか、空いているように見える。たくさん薬を打たれている赤ちゃんもいて、その中に自分の息子がいることが正直受け入れられない。わたしの子どもは違うんだ、と思った。
 あさひは、処置をしたからなのか、ぶくぶく水で膨れているような状態に見えた。細い手には点滴のルートがついていて、少し痛々しい。呼吸がまだじょうずにできないらしく、鼻にチューブを通している。頭には布の帽子を被っていた。口から泡を吹いているように見えて、心配になる。無事に生まれてきたのはうれしいけど、大丈夫? と少し不安が募る。
 初乳を含ませた綿棒を口元に近づけると、あさひは、ちゅぱちゅぱと口を動かしてくれる。その様子を見て、愛しいなと思う。
 検査をするからと言われて一度病室に戻り、また二時間ほど経ってから会いに行った。そこで、初めてあさひを抱っこした。チューブが繋がったままで少し抱きづらかったけれど、大きな声で泣いてくれた。これだけ泣くなら、大丈夫だ。
「心臓に穴が開いている疑いがありましたが、穴はありませんでした」
 NICUの先生が近くに来て、説明してくれる。
「ああよかった!」
 安堵して、思わず声が出た。
「心臓の動きや肺の機能も、今のところ問題は見受けられません。ただ、心臓が少し右にあることは変わりませんでした。今後、精密検査もして確認したいので、赤ちゃんの検査の時期によっては、同時に退院できるかわかりません」
 心臓が右にあるだけで特に問題ないだろう、入院中も母子同室でいろいろお世話できるかなと思っていたから、早く安心したいなと思った。
「CTを撮りますが、造影CTです。赤ちゃんの膀胱が機能するようになってからでないと造影剤を使うことができないので、調子がいい日にやりましょう」
 タイミングがわからないということだ。待つしかない。
 その後も、どのような検査をするのか細かな説明を受けた。そのたびに何度も同意書にサインをした。これだけたくさん検査を受けるんだ。大変だけど、これでよくなるんだったらいい。うまくやってくださいと願いを込めながらサインをした。
 みんなが前向きな検査結果を聞けるわけではない。さっき、NICUで説明を受けたときに「よかった!」と声に出してしまったことを、ちょっと後悔した。たくさんの赤ちゃんや親御さんもちらほらいる中で、そんなリアクションを取るなんて、すごく配慮がなかった。まわりの方を不快にさせたのではないかと感じた。

 赤ちゃんに面会できるのは、赤ちゃんの両親だけだった。精密機械のあるNICUでは、スマホは機内モードにしないといけない。たける以外の家族には写真や動画を送って報告をした。事情を話すと、実家の両親は察してくれて何も言わなかったが、義実家にとっては初孫だ。楽しみにしていたようで、「会えないの?」「今日も元気?」と連絡が来る。わたしもすぐに対応できるわけではないし、気持ちを整理できていない状態でメッセージを見ると、落ち着かなかった。
 三時間おきの搾乳が始まった。初めの夜は、あまりの眠さに「お休みさせてください」と言って寝かせてもらった。朝は看護師さんが乳頭をほぐしに来る。他人に触られるのがすごく嫌で、それを伝えると、病棟で共有されたらしくタッチは最低限になった。
 はじめのうちは綿棒やスポイトに入れていたが、三日目からは、ほぐした後に搾乳器をつけて搾った。面倒に感じたけれど、次第に量が増えていくとうれしかった。
 搾乳の合間に、ご飯を食べたりシャワーを浴びたりする生活。体力はまだ戻っていないけれど、二十四時間点滴が繋がっていた入院中と比べれば、自由に歩けるようになったのがうれしい。病室では自由に電話もできる。出産したのが日曜日だったので、翌日の月曜日は妹と話した。専業主婦の妹はすぐに電話に出てくれて、いろいろと話すと気がまぎれた。
 搾乳のあいだは座っていなければいけないので、円座クッションを使っても、会陰切開した部分が痛い。慣れてくると、搾乳器を持ってぼーっとしながらドラマを観る余裕も生まれた。三時間ごとに、搾った母乳を持って面会に行き、哺乳瓶であさひにあげた。足りない分はミルクを飲ませた。やがて直接母乳を与えてもいいと言われ、飲んでもらう練習もした。小さくてふわふわしているあさひを抱いて、その口に含ませる。吸いついて必死に飲む姿は、めちゃめちゃ可愛いくて、もっと母乳が出るといいなと思った。

第十三話 黄疸と心不全ケア

 生まれてから三日目、あさひが黄疸になった。数値が高く、光治療が必要だと言われた。青い光を浴びせて黄疸の数値を下げるらしい。よくあることらしいけれど、息子が治療している姿は痛々しくて、見ているだけで泣きそうになった。
 他の人に泣いているところを見られたくなくてぐっと堪えても、涙はどんどん目にあふれてくる。病室に帰ってから泣いた。
 たけるの両親にも電話で話をしたら、「それ、大丈夫?」と聞かれた。素直に聞いてくれようとしたのだと思うけれど、なんだかすごく辛辣な感じに聞こえてしまう。なんか本当にそれ大丈夫なの、と言われているように感じた。もう今は連絡を取りたくないなと思う。
 少し落ち着いてもう一度面会に行くと、アイマスクをして治療を受けている姿が、日焼けサロンみたいに見えた。小さくて、これもなんだか可愛いな。頑張っている。仕事終わりに毎日会いに来てくれるたけるも、あさひの様子を見て「この姿も、なんか可愛いね」と言ってくれた。こうやって寄り添ってくれる人がいるから、少しずつ受け入れられるんだなと思う。
 黄疸と診断された翌日、今度は心不全のケアをすると言われた。NICU入院中の看護計画の説明を受けているときだった。
 これからも生活が制限されるのか。黄疸の治療以外は、もう点滴もチューブも外れているのに。どうしてわたしの子がこんなふうになっちゃうんだろう。不安で、悲しくて、涙が止まらなくなる。看護師さんに心配されるほど、泣きじゃくった。ネガティブな気持ちでいっぱいで、自分の両親にも電話した。
「もう一度詳しく説明を聞いてみよう」
 夜にまた面会に来たたけるに促されて、看護計画をもう一度説明してもらった。
「今の段階で症状が出ているわけではありませんが、心臓に疾患があるかもしれません。その可能性を観察しています」
 心不全のケアをしていますと言われて頭が真っ白になっていたけれど、そうではなくて、経過観察をしているのだということがわかった。それなら大丈夫だ。

 わたし自身は順調に回復しているようで、退院予定日の前日に検査をして、問題ないと言われた。
「お子さんと一緒に退院できそう?」
 病棟とNICUの看護師さんは違うので、退院日について聞かれる。わたしのほうが先に退院するらしいと答えた。
「明日、退院するときにいないので。お世話になりました」
 新人の看護師さん二人が、病室まで挨拶に来てくれた。二人ともわたしと歳が近くて、仲良くしてくれた。
「おとさんのおかげで楽しかったです。楽しかったって言うのもあれなんですけれど、励まされました」
 そう言って泣いてくれる。
「いや、こっちが励まされたよ」
 この病院に本当に長くお世話になったなと思った。入院も何度もしたので、二カ月近い。退院がうれしい反面、ちょっと寂しい気にもなった。
 あさひの黄疸の治療は終わっていて、数値は高いけれどもまあ大丈夫だろうと言われていた。わたしが退院して数日後に、あさひのCT造影検査をすることになっていた。八月中の退院をめざしましょうと言われている。あとは検査の結果次第。祈るしかないと思った。

 八月二十一日。自分の退院手続きを終えて、そのままNICUに寄ってあさひに直母で母乳をあげた。午前中だからか、いつもよりすごくたくさん飲んでくれる。あさひと一緒に退院したかったというのが正直な気持ちだった。わたしが退院したら、次はいつあげられるんだろう。
 お昼に車で迎えに来てくれたたけるは、回転寿司に連れて行ってくれた。大好きなお寿司なのに、全然美味しいと思えなかった。美味しいはずなんだけれど、なんだか実感できない。CTの造影検査は明日だ。あさひを麻酔で眠らせて、造影剤を点滴しながらCT検査を行う。大きな検査なのに、それを待たずしてわたしだけ先に退院した。付き添ってあげられなくてごめんね。あさひを病院に置いてきてしまったという気持ちでいっぱいで、お寿司も喉を通らない。
 ほんの少しだけ食べて、もう帰ろうと言って車に乗ると、あさひに会えないんだと悲しさがこみ上げてきて、車の中で大号泣してしまった。
「いつかはあさひも退院できるから、頑張ろうね」
 運転しながら、たけるが励ましてくれる。
「うん、搾乳、頑張って届ける」と、しゃくりあげながら答えた。

 退院して家に帰ると、部屋は破水して入院したときのままの状態だった。
 家でも三時間おきに搾乳をする。とくに、夜中の搾乳は虚しかった。退院前に慌ててネットで買った電動搾乳器の音が、深夜の静かな部屋に響く。あさひを病院に残して、ひとり家で搾乳をしている。本当だったらあさひに飲んでもらえるはずなのに、搾って届けなくてはいけない。『ONE PIECE』のアニメを観ながら搾乳をして、二十分程度でアニメが終わると「今日はこれくらいか」と思う。母乳の量もなかなか増えなくて、直接飲んでもらったらきっと増えるのにと思った。

 産後の体は思ったよりも重い。搾乳をしている時間以外は、ほぼ寝て過ごした。夕方たけるが仕事から帰る時間に合わせて、服を着替え、髪を整えて、すぐに出られるように準備する。「マンションの下に着いたよ」と連絡がくると、搾乳した母乳を持って一緒に面会に行った。
「今日はあさひどんなかな?」と、たけるの運転してくれる車に乗って話す。
 会う時間は、あさひのいろんな表情が見れてうれしかった。たくさん写真や動画を撮る。どちらかが抱っこしながら、あさひの様子を見て話す。
「今日は起きてるね」
「こんなに大きい声で泣くようになったんだね」
「ミルク飲めたねー」
「飲みながら寝ちゃったね」
 ミルクを飲みながら、力尽きて寝てしまうことが多い。そういう些細な変化やあさひの様子を二人で話しながら、見ているのがただただうれしかった。
 NICUのベッドは、固定ではなく移動式だ。日によってあさひのベッドの場所が移動していく。移動の状況によって、少しずつ治療が要らなくなっているのが目に見えてわかった。ベッドも変わった。初めは、ハロゲンヒーターのような熱源のついたベッドだったのが、温度調節の要らないベッドになり、最終的にすごく簡易的なベッドになった。もう、こんな小さなベッドでも生きていける。外の生活ができる身体になっていっているんだと実感できてうれしかった。
 土日は直接母乳をあげたり、沐浴に行ったりとお世話できる。あさひはミルクを吸ってはいるけれど、一回につき五ミリくらいしか飲んでいないらしい。飲めなかった分は、鼻のチューブを通して胃まで流し込む。
 初めのうちは抵抗なく見守ることができたけれど、日が経つにつれて大丈夫かなと思ってきた。大丈夫だろうと信じる気持ちと、大丈夫かなと不安に思う気持ちと、半々。
「ミルクを自分の力で飲むことができないのは、体の不調が関係している可能性があるので、経過を見守らないといけません」
 NICUの先生は、あさひの様子をそう説明した。
 胃にミルクが入っているから満腹で飲む意欲が湧かないのかと思っていた。そんなに深刻なことだったのか。

 八月二十七日に、CTの造影検査の結果を、聞きに行く。
 前日は、検査結果が気になってしかたがなかった。搾乳のために夜中に起きたときから、気になっていろいろと検索をして調べた。
 その夜、搾乳を届けに行くと、先生が近くに来てくれた。
「明後日から一般病棟に移ります」
 えっ、と驚く。まだ検査結果を聞いていないのに病院に移るのはなぜだろう。でも、重大な病気が見つからなかったから一般病棟に移れるんだろうなと思う。ぬか喜びしちゃいけないけれど、いい結果なのかもしれない。
 病院を出たその足で、あさひの産着を取りに実家に寄った。退院してから初めて両親に会う。心配していたようで、いろいろと聞かれた。これはどうなの、あれはどうなの、妹の子どもはこうだったよね。他の子と比べられるのがすごく悔しくて、いつもはそんなことないのにイライラしてしまった。
 わたしの表情を見て察したのか、母は特に深堀りはしてこなかった。父や祖母が疑問をぶつけてくるのに対して、結果は明日にならないとわからないよと半ばぶっきらぼうに答えた。きっと心配してくれていたのだと思うけれど、今はそっとしておいてほしいと思った。

第十四話 検査結果

 結果を聞きに行く日。たけるも仕事を休んで、朝から二人で病院に向かった。
 NICUの先生は一時間ほど待ってようやく現れて、説明をしてくれた。
「心臓は、やや右側の位置にあります。それによって、右の肺が小さいです」
 心臓の描かれた紙を机の上にひらりと置いて、書き込みながら説明する。
「これは右の肺から心臓に戻る血管ですが、あさひくんの場合、体を巡った血が心臓に戻る入口、本来とは別の場所に繋がっています。それと、心臓から体のあちこちに血液を送り出す大動脈という太い血管があるのですが、その大動脈から右の肺に向かって、一本余分な血管が出ています」
 先生の言葉が流れていくようで、気持ちが全然追いつかない。前向きになれない。でも、今はとにかく理解するしかない。病気に向き合っていかなきゃいけないのは、この子もそうだけど、わたしだから。詳しいところまで理解をしないと、必要な配慮もしてあげられないだろう。いくつも質問をぶつけて、先生とたくさん話をした。
 説明の後、あさひのところに行ってミルクを飲ませた。あさひを見てじわっと涙があふれてきそうになるのをなんとか堪えた。

「この先、あさひをどうサポートすればいいの。将来どうしていけばいいの?」
 家に帰ってから、ぶわっといろんな感情が爆発した。
「思い描いていたようなマタニティライフなんて送れなかった。出産だって、自分で望むかたちでできたけれど、心拍が下がったりして不安の連続だった。なんか悔しい。なんでわたしばっかり」
 涙といっしょに、今まで口に出せなかった想いが、次々とあふれてくる。たけるの前で散々泣いて、ようやく落ち着いた。
「先生も話していた通り、血管は手術したら治るんだよ。心臓が右にあること以外は」
 ひと通りわたしが吐き出した後、たけるは言った。
「普通に生活が送れる。他の子と変わらない生活が送れる。運動制限もないって言っていたもんね。あさひは、治らないわけじゃない」
 心臓が右側にあると初めて聞いたときから、たけるの姿勢は変わらなかった。
「プラスの要素が大きいなと思った」と前向きに言葉を繋いでくれる。「まあ、頑張らなくちゃいけないのもあるけれど、長い目で見れば、そんなにネガティブになる必要はないと思うよ」
「うん」
 この人と結婚してよかったなと思った。たけるは、いつも前向きに考えようとしてくれる。考えをわたしに押しつけるんじゃなくて、寄り添いながら一緒に考えてくれる。きっと、この人と一緒じゃなきゃ、ここまでこられなかっただろうなと思った。
 あさひがわたしたちを選んでくれたんだ。家族三人で乗り越えていこう。
 病院で説明を受けたときも、ミルクが飲めないのは体の疾患なのか、これから飲めるようになるのか、わからないと言われていた。あさひがミルクを飲めるように、調べて試してみようねとたけると話した。
 一般病棟に移れば、わたしも一緒に入院して、二十四時間一緒の生活が始まる。それに向けて頑張っていこうと気持ちを固めた。

第十五話 産後アンケート

 一般病棟に移る予定日の朝、「今日からわたしも入院だ!」と思っていたら、先生から電話がきた。
「こちらの都合で大変恐縮ですが、一般病棟への転棟ができなくなりました」
「え、そうなんですか?」
「今日退院の方がいてその空きにあさひくんが移る予定だったのですが、ほかに、もうベッドがないお子さまがいまして。あさひくんは急ぎではないので、もう少しNICUで経過を確認させていただければと思います」
 少し残念な気持ちもあったけれど、いきなりあさひと二人きりになるのは不安だったので、延びてよかったなと思った。初めての育児だ。産婦人科で母子同室ならば助産師さんが助けてくれるかもしれないけれど、たった二人の一般病棟でやっていけるか自信がなかった。
 翌日、産後の健診があった。アンケートに回答していく。
『子どもがいなかったらなと思うときがある』
 手が止まった。そう思う瞬間は、頻繁ではないけれど確かにある。思い描いてた育児と全然違った。どうしてこの子なんだろう。この子じゃなかったら。この子がいなかったら……もうちょっと自分も自由になれたんだろうな。考えては、罪悪感を覚えて苦しくなっていた。ずっと「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせて、押し殺してきた気持ちだった。
 この項目、丸をつけたくない。でも、丸をつけて感情を外に出してみることで、何かラクになることがあるのかもしれない。えいや、と丸をつけた。
「完全に産後うつというレベルではないけれど、ギリギリのラインですね」と、アンケートを受け取って内容を確認した方が言った。「心理士さんとの面談時間を取ります」
 きっと引っかかるんだろうと思った。でも、この日に第三者に話を聞いてもらって、気持ちが整理されてラクになれたように思う。

 三日後の九月一日に、あさひが一般病棟に移れることになった。わたしも入院することになる。
 一緒に過ごせることがすごくうれしかった。抱っこするしかなかったNICUと違って、あさひの隣に横になることもできる。時間制限もない。ずっと顔を見ていられることに幸せを感じた。
「鼻に入れているチューブを、お家に持って帰ることになるかもしれません」
 一般病棟に移ったその日に言われた。ミルクが飲めれば退院だと言われていたが、あさひはなかなかじょうずに飲めなかった。退院が長引かないよう、飲めない場合に備えて、チューブの交換ができるようにならなければいけないらしい。
「直接母乳を飲む練習もしつつ、経管栄養も一通り覚えましょう」
 元々鼻に通っているチューブにミルクを流すだけなら、それほど難しくない。でも、一週間に一度、チューブの交換がある。鼻から胃まで通してセットするのもできるようにならなければいけなかった。
 チューブを初めて入れたときは、あさひが苦しそうにするのですごくつらかった。
「ずっとモタモタしていると子どもも苦しいから、頑張ろうね」と、看護師さんが励ましてくれる。
 うまくシュッと通ったときは、すごくほっとした。思わず涙が出て、看護師さんも「よかったね」と肩を叩いて一緒に喜んでくれた。この人と一緒にできてよかったなと思う。
 チューブを通すことに正直抵抗があったけれど、今のあさひは、体重を増やさなくちゃいけない段階だ。これも必要なことなんだと、ようやく受け入れられるようになった。

 転棟した初日にあった心拍を測る大きなモニターは、数日で持ち運べるサイズに変わった。だんだん外に出る準備が進んでいるんだとうれしくなる。一歩一歩、進んでいる。
 入院して五日ほど経ったある日、先生に声をかけられた。
「お子さまとの生活にも慣れてきたようですし、チューブも通せるようになったし、特に問題なさそうですね。来週のどこかで退院しましょう」
 すごくうれしかった。やっと普通に家族三人で一緒に過ごすことができる。わたしとたける以外にもお披露目ができる。
 その翌日から、あさひはミルクを飲めるようになった。飲めると言っても少しずつで、二十ミリリットル程度だ。一回に六十ミリリットル飲まなきゃいけないので、足りない分は哺乳瓶で練習し、さらにそれでも飲み切れなかったら鼻のチューブから流した。
 あさひの様子を見ていると、鼻にチューブが通っているから飲みにくいのではないかと思う。お腹もいっぱいなのかもしれない。ちゃんとお腹が空っぽで、自分が飲みたいと思ったときに飲めるようなかたちにすれば、もっと飲めるのではないか。
 そう考えて話すと、うーんと先生は唸った。
「口からでも、鼻からチューブでも、飲んでくれればどちらでもよいです。ただ、口から飲めない状態で、強制的にミルクの量を減らして、ほしいとなったらあげようとするのは、医療の観点からはおすすめしません」
 チューブを持って帰ることになったときにも、看護師さんに話してみた。
「これを持って帰って、飲めるようになったら、外してもいいんですか?」
「別にそれをやってもらってもいいけど、前にそうやってお母さんが一生懸命飲ませよう飲ませようとして、飲ませてたら、心臓の数値が悪化してまた戻ってきた人もいます。無理にそうやってやるのはよくないと思いますよ」
 じゃあ、頑張って飲む練習しちゃいけないってこと? 看護師さんも経験を元に教えてくれたのだと思うけれど、少しでも普通の生活に慣れていけるように考えたことを、否定されたような気持ちになった。
 たけるや両親にその話をすると、両親からはやんわりと諭された。
「まあ、退院して子どもを育てるのは親だからね。看護師さんの意見は参考までに聞いておいて、親の判断で育てていけばいいよ」
 意思を尊重してもらって、ようやく気持ちを落ち着けることができた。

第十六話 退院

 あさひの退院日は、九月九日に決まった。
 家で生活できる。家族三人で過ごして、すぐ近くであさひの成長を見守ることができる。ただそれだけのことが、すごく楽しみで、すごくうれしかった。
 退院に向けて、あさひは前日にいろいろな検査を受けた。心電図とレントゲンを撮った。心エコーで心臓の確認もしたし、採血もあった。『RSウイルス』といって子どもの八割がかかり、重症になると肺炎にもなるウイルスの予防接種を受けた。足の筋肉に打つ注射なのでものすごく痛いらしく、あさひは大きな声で泣いた。
 わたしも、退院手続きで大忙しだった。RSウイルスの予防接種は月に一度なのでまとめて予約を取ったり、退院の証明書の書類を書いたりして、病院中を駆け回った。

 退院の日、病棟から出ると、待っていてくれたたけるが笑顔で駆け寄ってきた。
「かっこいいじゃん!」
 セレモニードレスのネクタイをちょんと触る。たけるが選んでくれたセレモニードレスだ。あさひには大きくて、帽子もぶかぶかだった。
「あさひ、小さいなー」
「かわいいよね」
 一般病棟に移ってから初めて三人で会えて、たけるもすごく朗らかな表情をしている。
 そのまま、お世話になったNICUと産科病棟に挨拶に行った。退院おめでとうと笑顔で送り出してもらって、本当に退院なんだなと実感する。
 車のチャイルドシートに乗せると、人形のようにちょこんと座っている姿が可愛かった。
「寝ちゃったね」
「なんか、このサイズ感も含め可愛いね」
 病院から出て、たけるの実家に向かう。里帰り出産で夜はわたしの実家に帰るし、あさひの身体の負担を考えるとあまり連れ出したくない気持ちもあったけれど、「初孫だから見せたい」というたけるの希望を叶えることにした。
 たけるの実家に着くと、家族総出で迎えてくれた。早くあさひの姿を見たいと言わんばかりに、車の中を覗き込む。たけるがあさひを抱いて玄関から入り、応接間に用意されていた古いゆりかごに寝かせた。
「初めましてー。あさひくんー」
 お義母さんが話しかけてくれる。普段は寡黙なお義父さんも、綻んだような顔をしている。誰よりも退院を心待ちにしていたのは、たけるのおばあちゃんだったようで、「あさひくん、あさひくん」と相好を崩して興味を引いている。慣れない携帯電話で何枚も写真を撮っていた。
「抱っこしてみたら?」
 みんな気を遣って抱っこしていなかったが、たけるが声をかけると代わる代わる抱っこした。わいわいみんながあさひを迎えている姿を、ぼーっと見つめた。

 その後、わたしの実家に向かった。
 到着したとき両親はまだ仕事中で、祖母が出てきてくれた。いつもわたしが実家に帰るときと同じ出迎え方で、ただ「あさひくんだね」とすごく喜んでくれた。
「あやちゃんも大変だったね」
 祖母が、優しくわたしに労いの言葉をかけてくれて、ほっとする。
 やがて両親も帰ってきて、あさひの寝ている部屋を見に来た。
「ああ、よかったね。退院できて」
 自然な言葉で迎え入れてくれる。写真を誰も撮らなくて、義実家との反応の違いに拍子抜けした。
 あさひの身体のことも、その場で細かく詮索しないでくれるのもありがたかった。心配してくれているとしても、「大丈夫なの?」と聞かれるのにはうんざりしていた。百パーセント大丈夫とはわたしも言えないし、症状が今出ていなくても今後どうなるのか想像がつかない。何も聞いてこない両親に、そっと心の中で感謝した。

 二十四時間、あさひと一緒にいて、泣いたら母乳をあげたりオムツを替えたりする。実家の二階に寝泊まりする予定だったが、あさひを抱いて階段を上るのは怖いというと、母は「もう、リビングで寝や」と布団を敷いてくれた。隣に箱ベッドを置いて、あさひを寝かせる。夜中も二時間おきに起きるけれど、実家では身の回りのことをすべて両親がやってくれるので、あさひのお世話に集中することができた。
 お風呂は『GG』が入れてくれる。おじいちゃんと呼ばれるのは嫌だからと言って、父は孫たちにそう呼ばれている。里帰りしたらGGが赤ちゃんをお風呂に入れることになっていて、あさひを抱いて入ったGGは「すごく、洗いやすかった!」と笑顔で感想を述べた。おとなしく入っていたという。あさひはお風呂が大好きらしい。

第十七話 あさひ

 翌日の九月十日は、あさひの出産予定日だった。本当は今日生まれるはずだったのに、もう外にいて、成長を見ることができることに感激する。
 あさひのうんちがずっと出ないので、オムツ替えのタイミングで肛門刺激をした。すぐに効果があり、おならと同時にうんちが出る。ベビーベッドの高さにあったわたしの顔に飛んできた。
「もう! ママの顔に飛んできたよ!」
 あさひを見ると、本人はとてもスッキリした顔をしていてなんだか笑ってしまう。こんなことすらも、楽しく思えた。
 あさひと一緒に暮らすようになって、横で眠る姿を見たり成長を近くで感じたりする瞬間は本当に愛おしい。あまり子どもが好きではなかったから、自分がそんなふうに思うなんて想像もしていなかった。
「母乳は、お互い少しずつ練習していこうね」
 ミルクをほしがって泣いたら飲ませようと思っていた。直接母乳を飲ませてもいいけれど、まずは哺乳瓶からでもいいから飲んでほしいと思って、冷凍しておいた母乳を解凍して飲ませた。あさひは、驚くほどごくごくと飲んでくれる。やっぱり、入院中はあさひもストレスがあったのかもしれない。
 二日続けてよく飲んでくれる。鼻のチューブを通さなくても、体重は順調に増えていた。お風呂上りにベビースケールに乗せて体重を測ると、三日で百グラム以上増えていた。生まれてから退院までの一カ月で百グラムほどしか増えていなかったのに、すごい成長速度だ。こんなに増えてくれたんだとうれしくなる。
 週末にたけるが来たときに相談して、チューブを外して飲ませてみた。チューブのついていない顔も久しぶりに見た。本当に久しぶりだ。何もついていない、すっきりしたあさひの顔。
 その口に、哺乳瓶の先をちょんと当てると、吸いついて飲んでくれる。
「ああ、よかった……」
 思わず安堵の声が出る。ごくごくと飲む姿は、大きな前進に思えた。
 この子も、頑張って大きくなろうとしてくれている。

 今まで、いろいろあった。妊娠の経過も、あさひの身体も、不安になることばかりだった。この子じゃなかったら、わたしのやりたいことも実現できたのにという考えが頭をよぎった日もあった。けれど、今は。
「わたしたちのところに来てくれてありがとう」
 この子でよかったと心から思う。この子が与えてくれたものがたくさんある。あさひを妊娠して、出産したことで、すごくたくさん考えたし、すごく精神的に強くなった。「母は強し」という言葉は、我が子を思うと母は強くなるってことなんだ。
 わたしたちのところに、来てくれてありがとう。本当にありがとう。
 あさひが生まれてきてくれて、本当によかった。
 いつか、またつらいことがあるかもしれない。わたしはそんなに強くないから、「わたしが守るよ」とは正直言えない。でも、「一緒に頑張っていこうね」と思った。
「あさひにとって、一番いい選択をしていこうね」
 隣でじっとあさひの様子を見守っているたけるに言うと、「うん」と優しく微笑んでくれた。
「これからも大変なことがあるかもしれないけれど、家族三人で乗り越えていこう」
「あさひは、奇跡の右心臓だからね」
 もうそれは、わたしたち家族の、合言葉だ。
 みんなは持ってないけど、あさひは一つの個性として持って生まれてきた。これからも健やかに育っていってほしい。
 どんなときも、朝日が昇るように。明日を迎えられるように。何度も、この子の名前を呼んでいこう。



この文章は、インタビューの内容をもとに執筆しています。