未来のねーさんへ

しょうこさん(20代後半・女性)(仮名)
2020年11月に長女を出産。
想いをつむいだ日: 2021/11/4

ねーさんへ

元気ですか? 相変わらずおてんばかな? 今おかあさんの目の前にいるのは、もうすぐ一歳になるねーさん。どんどんできることが増えて、成長を感じる日々です。ねーさんが生まれたときのことや今の気持ちをいつか伝えたいなと思って、手紙を書くことにしました。

はじまりの朝

ねーさんは、お腹の中で足を蹴ったり、しゃっくりをしたりしている子でした。とてもうれしいとともに、早く寝させてくれよーと思った夜もあるくらい、元気いっぱいだったよ。すくすく育って、妊婦健診でもいつも優等生。生まれてくるのが楽しみでした。

11月のある朝、いつもよりお腹の張りを強く感じました。張りは、陣痛に繋がるお産の予兆です。予定日も近づいてきているのでこんなものかなと思いました。

午前中に妊婦健診があり、初めてNSTモニターを付けました。動かないように気をつけていたんだけど、看護師さんに「うまく計測できないね」と言われてしまって。20分ほどと言われていたところを1時間くらい計測。すると、3分おきくらいに張っていることがわかりました。

初産だと、生まれるまで時間がかかると言われています。看護師さんに「一度帰宅して、午後また健診を受けてもよいですよ」と言われて、「荷物を取りたいので家に帰ります」と答えました。

でも、それがよくなかった! 帰ろうとしたらどんどん痛みが強くなってしまって。まだ耐えられる程度だから大丈夫、大丈夫……と心の中で唱えながら出口に向かいました。

大学病院の中にスターバックスがあったので、そこでお昼を買いました。毎年11月1日からは、ホリデーシーズン。クリスマスドリンクやフードが出る時期です。キャラメルドーナツとジンジャーブレッドラテは、中でもおかあさんの中でのド定番。「いざ勝負!」とキャラメルドーナツを選び、タクシーに乗り込んで家に帰りました。

帰宅すると、おとうさんは、朝とは違うおかあさんの様子に驚いてあわあわしていたよ。おかあさんは痛みに動けなくなって、さっきスタバで買ったコーヒーを合間に飲みながら「あれ持ってきて」とおとうさんに伝えて入院準備をしました。おとうさんと、駆けつけてくれた斉藤のおばあに連れ添ってもらって、タクシーで病院へ戻りました。

待合室で順番待ちをしながら、おかあさんはスマホのアプリで陣痛の間隔を測りました。「痛い」ボタンを押しているときに隣からおとうさんが話しかけてくるもんだから、「今痛いって、ほら、押してるじゃん!」と怒った記憶があります。

もうそのときに子宮口は5cmまで開いていて、お産に備えて入院することになりました。看護師さんに「歩ける?」と聞かれ、一瞬考えて「いや、車いすで」と答えました。歩けないほどになっているのだと、そこで初めて自覚したなあ。おとうさんに「我慢強いと思うから、あまり無理しないでね」と言われて、分娩室のある入院棟へと向かいました。

おとうさんに「入院手続きをしておいて」と伝えたら、その事務的な会話を最後にもう会えませんでした。おとうさんは後で部屋に荷物を持ってきてくれたんだけど、もうそのときにはおかあさんとは会えなくて、仕方なく仕事に戻ったようです。

おかあさんは陣痛室に案内されて、「何かあったら呼んでください」と言われました。遅番と早番の切り替えのタイミングだったのか、しばらく誰も来ません。すーっと息をしながら呼吸に集中すると、予想していたほど痛くは感じませんでした。時々ピラティスをしていたし、妊娠中もトレーナーの友だちから呼吸を意識するようアドバイスをもらっていました。お腹のなかのねーさんに酸素を送っているような気持ちで、呼吸を数えていたよ。

夕方5時くらいに破水をしてもらったら、そこから急にお産が進みました。助産師さんもずっと近くにいて、腰をさすったり、いきみたくなったらおしりを押してくれたりしました。いよいよとなって、分娩室まで自力で這うように歩いて、そこからはすぐ。「いきんでいいよ」と言われて一回いきんだら、するーんって出てきてくれました。ねーさんも、お腹の中で準備してくれていたのかな。親孝行に出てきてくれて、ほんとうにありがとう。

「女の子です」と。生まれたー!女の子だ、やったー!と、うれしかったよ。ねーさんはお腹の中でずっと体を隠していたから、生まれる直前まで女の子だという確証がなかったの。無事に生まれてきてくれたことにほっとして、早くかわいい顔を見たいな~と思っていました。

すると、しばらくして急に分娩室がざわざわし始めました。ねーさんの産声が聞こえなかったのです。「先生呼んできて」と看護師さんの声がして、分娩室に人が増えてきて。心臓マッサージを始めている様子がありました。おかあさんは出産が初めてだったから、そういうものなのかなと思っていました。おぎゃあって泣くのをドラマでは見るけれど、もしかしたらみんなこういう感じなのかもって。

処置をされると少し落ち着いて、ようやくねーさんの姿を見ることができました。
「赤ちゃんと写真を撮りましょうか」と言われて、慌ててマスクを外しました。その写真を、おとうさんにも送ったよ。

おとうさんはちょうど仕事が終わったところで、「どう、お産は?」とメッセージがきていました。生まれたよと連絡をしたら、「え、生まれたの? もう生まれたの!?」と驚いて「どっちだった?」と前のめりに聞かれました。女の子だと伝えると「じゃあ、ねーさんかな」って。写真も見ながら感動している様子でした。ねーさんが無事に生まれてきてくれてよかったって、二人で幸せを噛みしめたよ。

会いたかった日々

写真を撮り終わると、看護師さんに「いったんお子さんは預かりますね」と言われて、ねーさんは小児科に行きました。おかあさんは遅い夕ご飯を食べ終わっても熱が下がらなくて、経過観察をすることに。明け方には熱は下がったのだけど、大掛かりな採血をすることになって、採血の後「娘さんのことで話があります」と呼ばれました。

「●●スコアがいくつでした」とか、「どうやら菌が入ってしまったようなので、髄膜炎などになっていると大変だから処置を行いました」などと説明されました。ぼんやり聞いていたら、「……NICUに入院します」という言葉が耳に入ってきて、ハッと驚きました。NICUは未熟児の子たちが入ると思っていたから、まさか自分の子が入るとは思っていなくて。

お医者さんは丁寧に説明してくれたのだけど、「原因がわからないけれど処置をした」と言われて、もやもやしました。ほんとうに問題がないのか、原因が何なのか、わからないと不安になります。前日にあんなに散歩しなきゃよかったのかな。おかあさんのいきみ方が悪かったのかな……。いろいろ考えてしまいました。

でも、そのあと、ねーさんと前日ぶりに再会できることになりました。会える! と思うとすごく嬉しかったよ。NICUに入るとねーさんの元気な泣き声が聞こえました。近づくと、いろいろな管や、点滴のために大きな包帯とギプスをつけられていて、ちっちゃいのにかわいそうと思ったのをすごく覚えています。

改めてねーさんの顔を見ると、ほんとうにおとうさんそっくりでした。もうね、おとうさんそのまんま! それに、右を向いて人差し指を口に入れていたの。エコー写真にずっと写っていた姿。生まれてきても同じようにしているんだなあと思って、すごく愛しく思ったよ。

そのまま会えたらよかったのだけど、おかあさんの採血の結果が悪くて「しばらく会えない」と言われてしまいました。赤ちゃんやほかの方に感染症を移さないよう、採血の結果がよくなるまでは面会禁止に。とてもショックでした。

ねーさんがNICUに入院することになったと、おとうさんに夜に電話で説明しました。そこで伝え方をちょっと失敗して。お医者さんが「大丈夫ですよ」と話していたから、おかあさんも処置をすれば大丈夫だよという伝え方をしたの。そしたら、おとうさんは「何も問題がない」という解釈をして。おかあさんは「新生児仮死」という言葉に衝撃を受けて不安だったから、おとうさんが共感してくれないことにもやもやしました。

それに、後から、保険証の発行などの手続きをせずにおとうさんがのびのび過ごしていたことが判明して、めちゃめちゃ喧嘩した記憶があります。でも、退院してから「すごく心配したんだよ」と話したら、真剣に話を聞いて自分事として捉えてくれました。やっぱり、おとうさんがいちばん話を聞いてくれたなと思います。

おとうさんが初めてねーさんに会えたのは、おかあさんが退院するとき。ほんとうはダメなところを看護師さんが掛け合ってくれたの。ねーさんを抱いてNICUから出て、おとうさんが待っているエレベーターホールへ向かいました。ガラス越しにねーさんを見つめるおとうさんのまなざしはやさしくて、すごく嬉しそうだったよ。

入院中によく「この子、夫に似ているんです」と看護師さんに話していたから、そのときに「同じ顔! 旦那さんにそっくりだってよくわかりましたー」と口々に言われて、おとうさんは照れくさそうな表情をしていました。

おかあさんが入院中は、NICUに搾乳を届ける日々。午前中はねーさんの検査、おかあさんも点滴。会えるのは午後の2時間程度でした。

さみしかったなあ。すんなり生まれてきてくれて、おかあさんも少し熱が上がったくらいなのに、どうして会えないんだろうって思ってた。ほかのお母さんたちは赤ちゃんと一緒に過ごしているのに。自分の子なのに、なんで会えないんだ~~! って。「退院したらずっと一緒だから大丈夫ですよ」と看護師さんが声をかけてくれても、さみしい想いは消えませんでした。この瞬間は今しかない。今のねーさんにはもう会えないんだって思うと、やっぱり一緒に過ごしたくて。

おかあさんは予定通りに退院。ねーさんは2週間ほど入院する予定でしたが、経過がよくて、おかあさんが退院するころにはGCUへ移り、その3日後くらいには退院できることになりました。搾乳を届けに行こうと思っていたら、病院から電話がきて「今日退院できそうなんですけど、しますか?」と言われたの。えー搾乳しちゃった! と思いながら、慌てて、ねーさんを迎える準備をしました。

我が家に来たねーさんは、おかあさんの隣のベビーベッドで寝ました。3日間、からっぽだったベビーベッド。そこにねーさんが眠っているのが、とてもとてもうれしかったよ。

ずっと見守っているからね

あれから1年。

ひとさし指のちゅっちゅも、足バタバタも、お腹の中にいた頃から続いているね。とくに足をよく動かすねーさん。そういうものなのだと思っていたら、1か月健診のときに「生まれてすぐはそれほど足をバタバタさせません」と聞いてびっくりしちゃった! むちむちだった足に、いまは筋肉がついて、『からだだんだん』に合わせて常にスクワット。児童館の足車を楽しそうに回すし、家ではウォーターサーバーのボトルを押しています! 歩くのは好きなほう。ぜったいに足が強くなる子だなって思っています。

おとうさんは、ねーさんにべた惚れです! 家で仕事をしていても、休憩でデスクを離れるたびに「ねーさん~!」って会いに来ているよ。ねーさんのことが、かわいくてかわいくてしょうがないみたい。

都家は、いっしょに過ごす時間を大切にする、素敵な家族です。ねーさんの写真をアップすると「かわいいね」とおばあちゃんから連絡がくるし、一見クールなおじいちゃんも、ねーさんが一度笑えば何度も同じことをして笑わせようとしています。みんな、ねーさんのことが大好きで、成長を見守っているんだよ。

ねーさんが生まれた頃を思い出すと、いま一緒に過ごせることがほんとうに幸せだなと思います。ねーさんに会いたいと思いながら、入院中のじぶんのベッドからぐるっとまわってNICUに戻っていた日々。大変だったな。いま、元気でよかった。そう思って、すやすやと眠っているねーさんの隣で泣いてしまいました。

出産って何が起こるかほんとうにわからないもの。もし、生まれてすぐに適切な処置が行われていなかったら? 大学病院で産むという選択をしていなかったら? 何か変わっていたかもしれないことを思うと、ねーさんが元気でいることがほんとうにありがたいことだなと思うの。

これからの、ねーさんとの生活が楽しみです。これからどう成長するのかな。歩いて、喋って、どんな遊びを好きになるんだろう。どういう考えをもって生きていくんだろう。

ねーさんも、『生きる』という選択をして、何か世の中でしていきたいことがあるだろうし、ミッションを背負って生きていくことになるでしょう。そのミッションを見つけていくのって大変だと思うし、目を背けたくなることもあると思う。

でも、きっと、いいこともたくさん起こります。前向きに、寄り道しながらでもいいから、おてんばに生きてほしいな。自分の好きなことに熱量をもって取り組んでほしい。ねーさんは、そういう元気さがある子だと信じています。

まわりの人を味方につけながら、これからもわがままに生きていってください。
ねーさんの成長をずっと見守っているからね。

おかあさんより


この文章は、インタビューの内容をもとに執筆しています。