未来のわたしへ

ゆうこさん(30代前半・女性)
2022年6月に妊娠。
想いをつむいだ日:2023/1/18

ねえ、元気にしてる? この手紙を開いたということは、何かあったのかもしれない。

いま大きなお腹を撫でているわたしも、たくさん迷って、たくさん泣いてきた。それでも、つーちゃんに会いたいと思っている。つーちゃんと、夫さんと、家族みんなで生きてゆく未来を思い描いてる。だから大丈夫。思い出して。これから先、また揺らぐこともあるかもしれないと思って、今の気持ちを手紙に残すことにしたよ。

ほんとうにいるの?

妊娠がわかったのは、2022年6月10日。5月に職場で脳震盪で倒れてから、吐き気と頭痛が続いていた。健診でレントゲン検査があるから念のためと思って妊娠検査薬を試したら、ばりばりの陽性でびっくりしたよね。尿をつけた瞬間から真っ青!トイレを出て呆然と立ち尽くしていたら、在宅ワークをしていた夫さんが「どうしたの?」って声をかけてきて。「え、いや、あの……妊娠してるみたい」「え? おう」みたいな感じで、2人してびっくりしたね。子どもを授かるのは難しいことだと思っていたから、ほんとうに予想外だったね。

出産予定は2月になる。……2月って。転職して2年目、3月までの契約だから、この先の仕事どうしようと不安になった。育休という選択肢は無いし、ストレスのかかる仕事でもある。夫さんは「やめるのもありだよ」と言ってくれた。「それは体調次第だね」と。脳震盪の後遺症かつわりなのか、体調不良が続いていたから、いずれにせよ仕事をいつまで続けられるかって感じだった。

心拍が確認できるまでは「ほんとうにいるの?」って半信半疑で。頭痛も吐き気もすごいけど、ぶっちゃけ、なぜ体調不良なのかわからない。エコーを見ないと赤ちゃんがいるのか確信をもてない。

脳震盪で頭を打ってCTもしたし、10週頃に出血もあったから、流産してしまうかもしれないと思っていた。でも、しなかった。ああ強い子だね。そう思って「つよこ」って呼び始めたね。「このままつよこつよこと呼んでいたら名前がつよこになっちゃう。かわいくない」って夫さんに言われて(笑)それで、じゃあって言って、つーちゃんにしたんだよね。

先天性の疾患

妊娠週数を重ねるたび、ひとつずつ壁を越えていくような気持ちだった。ああ、胎嚢がある。ああ、心拍もちゃんとある、大丈夫。そして忘れもしないあの日。21週4日、先天性の疾患があるかもしれないとわかった。

胎児スクリーニングエコーの結果、可能性が高いのは、口唇口蓋裂。それを聞いて、すごく泣いた。あきらめようとした。もしかしたらつーちゃんが不幸になっちゃうかもしれないと思って。かわいそうだなと思って。NIPTを妊娠10週目に受けて、何かあれば初期に堕胎しようと考えていた。それなのに、まさかのそっちか。堕胎できるのは22週まで。産むか堕ろすか、決めるのにぎりぎりのタイミングだった。

仕事からすぐに帰ってきてくれた夫さんに話した。いつもなら「ゆうこさんの好きにしていいよ」とわたしの意思を尊重してくれる夫さんが、「夫さんはどうしたい?」とわたしが聞いたらすぐに答えてくれたね。「つーちゃんに会いたい」ってあの夫さんが涙を流して。それで、ああ、自分もつーちゃんに会いたいって思った。やっぱり産みたい。しかもその瞬間、すっごい胎動があった。お腹の中でつーちゃんが大きく動いている。つーちゃんも会いたいって、産まれたいって思ってくれているのかな。……それなら、産もう。堕胎するのはやめよう。

涙を流している夫さんの姿を見て、ああ父性があったんだと衝撃を受けた。子どもがほしいと願っていたのはわたしだし、妊娠がわかったのも想定外のタイミングだった。そんな夫さんが、つーちゃんに会いたいと言ってくれたのがすごくうれしかった。

それから大学病院に移り、夫さんも妊婦健診に来てくれるようになった。一緒にエコーを見たり、お腹を撫でてくれたり。一緒に乗り越えていこうと、わたしたちの絆が強まったように思う。恋人から家族になれた。今思うと、悪いことだけじゃなかったな。

エコーでは全然つーちゃんの顔は見えなかったけど、「たぶん割れているね」って先生に言われた。「でも赤ちゃんは痛くないから大丈夫よ」と。はっとした。つーちゃんが痛いかどうかなんて、わたし、そんな心配していなかった。自分の心配ばっかりだった。

赤ちゃんに障害がなかったら100パーセント。よく言われるけど、わたしもそんな気持ちだった。0か100みたいな。口唇口蓋裂だけじゃないかもしれない。染色体異常はないだろうと思うけど、体表に出ているということは中にも異常がある可能性がある。確率が高いのは心臓。つーちゃんを産んだら、自分たちはどう感じるんだろう。つーちゃんの心配よりも、自分たちの心配のほうが大きかったと思う。

揺れ動く日々

頭ではわかっていても、受け入れるのは難しい。発覚して2週間くらいはもうだめだった。

街中で小さな子どもを見かけると、どうしても口元に目がいってしまう。気分転換にディズニーにも行ったけど、よりによってランドだったから、遊んでいる大勢の子どもたちを見てしまってつらかった。
産院もきつかった。産婦人科しかないところだから、新生児も、1か月健診にきた赤ちゃんもいる。一番耐えられなかったのは、紹介状をもらうための最後の健診。予約から1時間待たされて、嫌で嫌でしょうがなくて。「ごめんなさいあと何分ですか?」と聞いて「あと20分です」という答えに、無理って思った。一回外に出るので呼んでくださいって。会計のときも別室にさせてもらった。

赤ちゃんを見るのも嫌だったし、妊婦さんを見るのも嫌だった。あの人は幸せな妊婦生活なのに。この人の赤ちゃんはすくすく育っているのね。あの頃のわたしは、ほんとすさんでいたなあ。

あっと思ったのは、福岡へ旅行に行ったとき。いろんなものを食べながら「つーちゃんおいしい? これ」と無意識に話しかけている自分に気づいて、ああ、ちゃんとつーちゃんと話しているわたし、と思った。それまで、お腹の中で動くつーちゃんをうるさいとさえ感じていたのに。

思えばあの時期から、少しずつわたしも母親になっていってたのかな。22週を過ぎて、もう戻れないという覚悟が生まれたのだと思う。ベビー用品を選ぶのは楽しいし、水通しも楽しかった。でもその反面、2週に一回の妊婦健診でエコーを見るのが嫌だという気持ちもあった。ゼクシィベビーに載っている写真と見比べて、ああやっぱりうちの子は違うなと思ってしまう。ずーんってへこむ。でも、病院も決まっているから頑張ろうか。頭でわかっていても心が否定する。本当に揺れ動いていた。

つーちゃんは、夜に夫さんといるとすごく動く。パパのことが好きなんだよね。夫さんも、つーちゃんに話しかけてる。夫さんがすごいのが、ちゃんと愛してるって伝えてくれること。毎晩寝るときに「つーちゃん愛しているよ」って言いながらお腹を撫でたりしてくれて。

秋頃まで、わたしは言えなかった。言えないわたしがつらくて、やめてくれって思うときもあった。それでも毎晩欠かさず夫さんが「つーちゃん愛しているよ」って言ってくれるから、受け入れられたのかもしれない。「大好きだよ」「かわいいよ」と、わたしもだんだんと言えるようになってきた。

12月頃、何気ないときにお腹に手を当てて「とんとん、つーちゃん?」って一人で話しかけていたら、中から手でぐーっと押す感じがあった。まるで「ここだよ」ってハイタッチするように。それがすごくかわいくて。ああ、答えてくれた! うれしい! って思ったな。

つーちゃんを産む

つーちゃんはまだ生まれてもいないけれど、なんとなく、意思がはっきりした性格だろうなと思ってる。我が強そう(笑)

「つーちゃんほんとうに生まれてくるの? 生まれたら大変だよ」って話しかけたら、つーちゃんは『生まれるって言ってんでしょ!』って感じで、ごーんって蹴ってきた。タイミングがいいんだよね、いつも。

夫さんがお昼にLINEくれるときもそう。「わたしは具合悪いけれどつーちゃんは元気です」「ゆうこさんはゆっくりしていてね」とやりとりしていたら、『わたしは!?』って感じですごく動く(笑)寝る前に「愛してるよ」って伝え合うときも、つーちゃんを忘れると『わたしは?』って動くから、生まれながらの女子だなって思う。生まれたらどんな子に育つのかな。

つーちゃんは、未だにほとんど顔を見せてくれない。2週間前にようやく少し見れたけれど、口唇口蓋裂が見つかるまで、つーちゃんは絶対に顔を見せなかった。もしかしたら、先にわかったら殺されちゃうって思っていたのかな。口唇口蓋裂は手術できる病気ではあるけれど、手術は20年続くし、美醜の問題もある。つーちゃんを授かる前から、そう思っていた。かわいそうって言われちゃうんじゃないか。産むのが正解なのかって。

一番こわいのは、つーちゃんに「なんでわたしを産んだの?」って言われちゃうこと。「口唇口蓋裂ってわかっていたんでしょ?」と言われたら、ぐさってきちゃうな。でももしそう聞かれたら、つーちゃんに会いたいと、抱きしめたいと思ったから産んだんだよって胸を張って答えたい。大好きな、愛している夫さんとの子どもで、わたしも夫さんもつーちゃんに会いたいと願っているから。それに、つーちゃんも会いたいって言ってくれた気がしたから。

今、お腹の中のつーちゃんは、どんなふうに感じているのかな。わたしがすぴすぴ泣いていると、ちょっとバタバタする。……だから、心配しないでって、思ってくれていると思う。

つーちゃんがいる意味をときどき考えたりする。わたしは4回ほど死にかけているから、もしかしたら出産で何かあって輸血が必要になるかもしれない。もともとの産院は小さな病院だから、つーちゃんが予め大学病院に連れて行ってくれたのかな。ちょっとスピリチュアルかもしれないけど、そう思ってる。

わたしがつーちゃんの幸/不幸を決めちゃいけないなって思う。この子は口唇口蓋裂だから、という思い込みがあったと気づいた。

だから、かわいいかわいいで育てようと思ってる。「わたしにとって、世界一かわいいのよ」って。心からちゃんとそう思えるのかっていう不安はあるけれど、そう思っていると、つーちゃんがお腹の中から、とことこ蹴るんだよね。『いいもんいいもん』みたいな感じで。ほんとうに強い子に育ったなあ。

もし、堕ろしていたら、今のこの感情はなかったなと思う。かわいいと思えたのが、皮肉にも10月後半だったから。かわいいという感情が芽生えたことで、幸せな部分もあった。

あのときの選択が正しいか間違っていたかは、わたしにもわからない。でも、きっと、つーちゃんを産むという選択をした方が、わたしは幸せだった。

初音

今のわたしがあるのは、つーちゃんのおかげだし、夫さんのおかげ。

口唇口蓋裂だとわかったあの日、「つーちゃんに会いたい」「妊娠したと聞いてうれしかったんだよね」って夫さんが言ってくれたのがうれしかった。救われた。夫さんの言葉があって、それで、ここまでわたしはこれた。

初めて大学病院でエコーを見たときも「かわいいと思う?」と聞いたら、うんって即答してくれた。「かわいいかわいい」って言ってくれたのが、ほんっとにうれしかったな。

夫さんがすごいなと思うのが、決して揺れないこと。揺れているのかもしれないけれど、それを微塵も感じさせない。わたしがつーちゃんは生まれてきていいのかなとか、この先どうなるのかなとか言うたびに、「いやいや、ちゃんと病院探しているし。大丈夫だよ。俺とゆうこさんとつーちゃんと三人でがんばろう」って言ってくれる。その「大丈夫だよ」に根拠はないんだけど、でも三人で乗り越えていこうって毎回毎回言ってくれる。一緒に揺れ動いていたらどうなっちゃってたんだろう。夫さんがいなかったら、あきらめていたかもしれない。夫さんが揺れずにいてくれることが救い。

わたしよりゼクシィベビーを読み込んでいるし、体重管理もしてくれてる。一緒にスクワットして、「ちょっと最近歩いてなくない?」って言って。ほんと、わたしの体重がキープできているのは夫さんのおかげだなあ。

もともとまめな人ではあったけれど、つーちゃんを授かってからほんとうにたくさん支えてくれた。わたしの一番近くにいてくれた。絆が深まったと思うし、手紙を書いていて、改めて夫さんのことが好きだなあって心から思う。

夫さんにかけてもらった言葉がある。「20年後に笑えればいいのよ」って。20年後に笑えるためにわたしは何をしたらいいのかなって考えている。今、一つ出た答えは、つーちゃんの美容代を貯めるということ。保険では18歳の治療までしかできないから、つーちゃんが将来「もう少し」と思ったときに、ぽんって、「これでやっておいで」って、送り出してあげるために。そのための貯金をわたしはしようって思えた。それを決められたことがひとつ、母としての覚悟なのかなって思う。

つーちゃんの名前は、いま三つくらい候補を考えてる。顔を見て決めようと思ってるけど。

「初音」「雪葉」「柊花」

第一候補は「初音」。出産予定日は2月4日、春分の日。その年に初めて鳴き、春の訪れを告げるうぐいすの声を、初音というんだって。初めての音を奏でるように、新しい道を切り拓いていってほしい。そんな願いをこめて。

つーちゃん、生まれておいで。


2023年1月のわたしより



この文章は、インタビューの内容をもとに執筆しています。