つーちゃんへ

ゆうこさん(30代前半・女性)
2023年2月に長女・初音さんを出産。
想いをつむいだ日:2023/4/13

今、9歳、10歳? もっと小さいのかな、それとももっと大きくなったのかな。
つーちゃんはどんな表情でこの手紙を開くんだろう。

わたしの目の前にいるつーちゃんは、生まれて2か月。いっぱいおしゃべりをしてくれる、元気な子です。つーちゃんが生まれてきてくれて、いろんなことに気づかされ、愛しくてかけがえのない日々を過ごしてるって思う。きっと何年か経てばこの気持ちを忘れてしまうだろうし、伝える機会も取れないかもしれないから、手紙に残して渡すね。思いがすごく出ちゃいそうでこそばゆいけど、読んでほしいです。

徹夜コースだな

つーちゃんは、お腹にいるときから意思がはっきりしていて、元気にお腹を蹴ってくる子だったね。パパとあいさつしているときなんて、必ず「つーにあいさつはないの!?」と言わんばかりにお腹を蹴っていたよ。

そろそろ生まれるかなと思っていた、2023年2月1日の夜。お風呂に入ろうとしたら、じょろじょろという感覚があって。「破水かも」と病院に連絡して、タクシーを呼びました。

妊婦健診で ”生まれるおまじない” をかけてもらってから心づもりはあったけど、いざとなるとそわそわするね。

いつも冷静なパパが慌てているのが意外でした。タクシーに乗るとき「汚れてもいいバスタオルを用意して」と頼んだら、なんと、雑巾にしたバスタオルを持ってきたの! いやいやいやいや。もしタクシーのなかで生まれたらつーちゃんそれで包むの?って。信じられないでしょ? パパは「ああそういうこと?」って取りに戻ってくれたけど、ママはぶちぎれてました(笑)

そんな感じでドタバタとタクシーに乗って、「ようやく会えるね」とつーちゃんに話しかけながら病院に向かったんだよ。

つーちゃんはもう知っているかもしれないけど、破水や陣痛がきたからといって、すぐに生まれるわけではありません。陣痛が強くなって、子宮口が開いて、赤ちゃんもおりてきて……と、いろんな準備が整ってようやく生まれるの。

病院に着いたとき、すでにクライマックスくらいの痛みがきているのに、まだ子宮口3センチでした。「痛い」っていうことしか考えられなかった。なんで無痛分娩にしなかったのか。帝王切開で切ってほしいって思う人の気持ちが初めてわかったよ。

そんななか、助産師さんがアレルギーの有無とか妊娠の経過とかいろいろ聞いてくるんだ。「カルテにないんですか? 入院前に書き込んだ青色の冊子は?」って、看護師さんにキレ散らかしていました(笑)

痛かったけど、お腹のつーちゃんに「がんばるね」って言われた感じがして、これは徹夜コースだなと覚悟を決めたよ。

心が通った!

夜中3時頃になると、声が出るほどの痛みになって。なんて言うのかな、何かがお尻につっかかっていて、力を入れてそれを出したい感じだった。”いきみたい感覚” だったんだなと後からわかったんだけどね。助産師さんを呼んだら、子宮口全開でした。

3時45分に分娩台へ移動して、いよいよ産むのかと思ったら「ここから2時間かかる人もいる」と言われてがく然とした。なんでわたしを移動させたんですか? って思っちゃった。
「赤ちゃんの心音を聞いて」ってNSTをつけられて。夜勤なのに、助産師さん3人とお医者さんまでついてくれて、口々に「陣痛がくるタイミングでいきむのよ!」って言うの。
「中井さん、いきむときに中途半端にやっちゃったらもったいないよ。赤ちゃんも苦しくて進めなくなっちゃうから。目を開いて、手はレバーを掴んで、長く長くいきむといいよ」って言われて。さっきまでいきむなと言われてたのに。しかもレバーは遠くて届かない。もうむりむりむりむりって思った。

でも、そのときはっと思い出したの。
『陣痛は赤ちゃんとおかあさんの初めての共同作業』―― 妊娠中にお友達に教えてもらって見た動画で、聞いていた言葉。陣痛中は赤ちゃんもがんばっているから、赤ちゃんに語りかけるといいよって。「つーちゃん、ここかな、じゃあいっしょにがんばろうか」といきんでみたら、それまでより手応えを感じた。つーちゃんと心が通った!と思ったよ。

何回かくり返しているうちに、痛みがいちばん強いのは、つーちゃんの心拍がどどどどどって上がるタイミングといっしょだってことにも気づいたんだ。心拍を聞きながら合わせて力を入れてみたら、助産師さんにも「いいねその感じ!」と言われました。

子宮口が開いてもつーちゃんがまわりきってないって言われて、「まわってまわって、つーちゃん」と話しかけたよ。つーちゃん、聞こえていたのかな。がんばって回転してくれたね。そして、4時58分に生まれたの。最後は「よーいしょ」って出てきたと思います。

誕生日の青空

つーちゃんの産声は、すごく強かったなあ。録音しておきたかった。生まれてくるまで不安もあったけど、つーちゃんの力強い産声を聞いて「あ、心臓強そう。だいじょうぶだな」って思いました。ああ、生まれたーって。無事に生まれて、元気だって、安心したよ。

生まれたばかりのつーちゃんを近くで見られなかったのが、ちょっと残念でした。感染症対策がきびしい時期だったから、わたしのPCR検査の結果がまだ出ていない段階では、つーちゃんにも近寄れなかったの。一瞬で連れていかれそうだったから、慌てて「写真撮らせてください」って、メガネも無いなかで撮りました。もうね、超遠いの! 足の先。写真、残っているから見せるね。

そのあと、胎盤も出して、見せてもらいました。つーちゃんを生かしてくれていた生命維持装置。がんばったね、おつかれさまって思ったよ。

パパに連絡したら、すぐに「おめでとう」って返事がきて、ああ起きていてくれたんだって思いました。分娩台でひとり静かに休んでいるときに、内緒でLINE電話もしたよ。
いちばんうれしかったのは、パパが空の写真を撮って送ってくれたこと。「つーちゃんが生まれた日は快晴です」って。澄みきった青空を、忘れません。

つーちゃんに早く会いたいと思っていたのに、陽の当たる窓側のベッドで寝ていたからか熱が上がっちゃって。PCR検査の結果が陰性でも、解熱してから丸1日はNICUに入れなかったの。つーちゃんは生まれたはずなのに、まだ抱っこもしていなかったから、実感が湧かなかった。

夕方、NICUの先生がIC(病状説明)してくれることになって、パパもほぼ徹夜の状態で駆けつけてくれたよ(産休に入った直後だったから「育休フゥー!」って感じに見えました)。
一通り説明を受けた後に「娘は元気ですか」と聞いたら、それまで淡々と説明していた先生がぱっと顔を上げて「はい!」って力強く言ってた。「お腹がすいたらぎゃーって泣いていますし大丈夫」って。そう聞いて安心しました。

声でわかるよ

つーちゃんにやっと会えたのは、生まれた翌日(生後1日目)の夜。
すごく不思議なんだけど、NICUの入口で泣き声が聞こえて、「あ、つーちゃんかな?」と思ったんだ。泣き声に導かれるようにNICUの一番奥まで進んだら、そこにいたのがつーちゃんだった。「この声だ。ああ、つーちゃんだ」って思ったよ。

顔をしわくちゃにして泣いているつーちゃんは、すごくかわいくて! それから、パパに似てるなって思った。目が似てるんだよね。最近は(この手紙を書いている生後2か月頃は)目を開けていることもあるから、片方はわたしに似ているとか思ってきたんだけど。でも生まれたすぐあとはパパにそっくり!(栃木のおじいちゃんおばあちゃんに見せたら、「ああもうパパだ」って(笑)パパは「え、そうかな?」なんて首を傾げるけど、「激似だよ」っていつも言っています!)

そんな、パパそっくりなつーちゃんを、やっと抱っこできた。ベッドからそーっと抱き上げると、からだがまだぐにゃぐにゃでやわらかくって。足もちっちゃくて、この足でお腹を蹴られていたんだなって思ったよ。髪の毛もやわらかくて。かわいいなあ。結構ふさふさだから、筆を作れたりするかしらとか思いました。

実は、初抱っこはパパなの。昼間のうちにパパが面会に来たから、初抱っこはパパ。それが悔しくて「初写真はわたし」って日記に書いたくらい。
写真に写っているわたしの初抱っこは、ちょっと肩が上がった、ぎこちない抱っこ。つーちゃんは、横抱きよりも縦抱きのほうが好きだったね。反り返りがすごくて、Cカーブにしようとすると「いやです~」って反るの。縦抱きだと落ち着くみたい。「お母さんの心拍が聞こえるんだね。ずっと聞いていたもんね」って看護師さんに言われて、お腹の中のことを思い出しているのかしらと思ったよ。小さくてやわらかいつーちゃんを抱っこしていると、あたたかくて幸せな気持ちになりました。

面会は、毎日18時と21時。それがごはんの時間。
そうそう、忘れられない母乳エピソードがあるんだ。産後少しずつ母乳が出るようになるものなんだけど、初乳は栄養価が高いから、搾乳してシリンダーで集めた初乳を産科の人が持って行ってくれていたの。その初乳をあげたら、つーちゃんったら、べーってやったんだよ!? わずか10ccくらいだから流し込んで、そのあとに人工ミルクを飲ませたら、「ああこれこれ」って様子で飲むつーちゃん。ちょっとちょっと!ってツッコまずにはいられませんでした(笑)

そんな感じで選り好みしてたけど、ミルクを飲む量は順調に増えていったね。上あごがなくても飲みやすいように設計された、口唇口蓋裂の子のための哺乳瓶があるんだ。その哺乳瓶を使ってみたら、初めてなのに飲めたの! すごい、さすがつーちゃんって思ったよ。

家族3人で過ごす日々

退院してからは1日1回、つーちゃんに会いに行く日々。つーちゃんはとにかく声が大きい。毎回、NICUの入口から泣いているのがわかるの。奥にベッドがあるのにNICUに響き渡るくらい元気だった。名前は「ひびき」でもいいなって思うくらいに。

ホッツ床ができあがるまでに一週間、ミルクを飲めるかどうかの確認に一週間、そして体重が増えるかどうかで一週間。
早く一緒に過ごしたいと思ってた。2月10日が大雪で、11日、12日と祝日が続いて面会ができなかったとき、さみしくて泣いたんだ。3日会えないだけで、「つーちゃんに会いたい。何しているのかな」って思って。新生児期に家族3人で過ごしたくて、予定より早く退院させてもらいました。

家に帰って、ずっと主不在だったベビーベッドにようやくつーちゃんを寝かせられました。やっぱりはじめはちっちゃかったね。この数か月間でも成長を感じるくらいだから、新生児期の24時間を一緒に過ごせて本当によかった。

パパは、9か月間の育休を取ったんだよ。つーちゃんが生まれてすぐに、会社のものをすべてクローゼットにしまって。「パパですよ、ん~?」と話しかけながら、沐浴をしたり、オムツを替えたり(NICUではまわりの目もあって「ぷるぷるぷるパパですよ~」なんて言えないもんね)。

パパは抱っこもじょうずだし、なんでもできる。真夜中に、泣く前兆の「ん~」から目覚めてくれるのはパパ。よく観察しているなと思う。足をもぞもぞし始めたときに「おしっこだね」とか言って。わたしは、つーちゃん何か蹴っているのかなと思っていたんだけど、パパは「このサインはおしっこだよ」って言って、さっとオムツ替えているの。なんかもう、母乳も出るんじゃないかな?(笑)

つーちゃんも、産後ホテルに行ったときテレビ電話をしたらパパのことをじっと見ていたね。パパは、テレビ電話なんて絶対にしないような人だったのに、ぽちっと画面オンにして「つーちゃん?」って。あなたのためなら、パパはテレビ電話をするのよ。

一緒に過ごして幸せを感じつつ、お世話が大変でしんどいなと思うことももちろんあった。つーちゃんが寝ないで、ベッドに置くと起きちゃうことが続いたときとか。

でも、その頃から、つーちゃんがうーうーって言うようになったんだよね。それがすごくかわいくて。こっちの言っていることがわかるのかなと思うタイミングで、うーうーって。
昨日も、慣れない場所ではじめのうちは泣いていたんだけど、ミルクを飲んで落ち着いたら機嫌がよくなって。「ちっちゃい子がいるね」「うー」「頑張ってね」「うー」って。つーちゃんと会話している感じが出てきて、すごくうれしい。

どんなときがかわいいかって……常にかわいい……。つーちゃんがかわいくて、ちょっと予想外なことが起きてもかわいいなって思います。

まだNICUに入院していたとき、母乳が出たタイミングでつーちゃんの口に直母で含ませてみたら、「なにするんですか」って感じで泣いてたよね。でも家でやったらがんばって飲んでくれて。うれしかったな。ただ、やっぱり哺乳瓶のほうがよく出るんだよね。あるときから、咥えるけど自分の期待する量が出ないからか、泣いて。いやですっていうだけじゃなくて、手でぺんぺんやり始めて。「出ません出ません!」って(笑)生まれたての頃から、べって出したもんね。たぶんわたしこれ一生言うかも(笑)

大切な娘

口唇口蓋裂はうさぎ口って言われるけど、つーちゃんは本当に、わたしが子どもの頃に飼っていたうさぎの生まれ変わりかも?とパパと話しています。沐浴のときに、おしりに毛が生えているのを発見したんだ。ほんと一画だけ。

毎日夜に思うんだ。つーちゃんの将来はどうなるんだろうって。7月に手術が決まっているんだけど、わたしもやったことがない全身麻酔をつーちゃんがやるのかと思うと、それもまた心配。

つーちゃん。口唇口蓋裂だからって、いろいろあきらめないでほしい。

下を向いて歩かないでほしい。つーちゃんが「これがわたしよ」って言えるだけの自信をもてるようにしてあげたいと思っています。

妊娠中に「口唇口蓋裂になって生まれてくる意味がきっとあるんだよ」って言われたことがあるんだけど、わたしは、そんな意味なんて無くていいって思う。
口唇口蓋裂を広めるような活動をつーちゃんに押し付けたくないし、患者会にも入る気はない。つーちゃんが、「同じ症状をもつ人のことを知りたい」と言うなら受け入れるけれど。わたしも、ライターとして「口唇口蓋裂の子をもつママ」はやりたくないと思っています。
パパは、家族に「口唇口蓋裂だけど、ふつうの赤ちゃんとなんも変わりないから」って説明してる。だってもうミルクも飲めるし、胃管入れていないし、笑えるし、声だって出せるし。ほんとうに割れているだけなんだよね。

つーちゃんを見よう。成長しているつーちゃんを見て、成長をいっしょに感じるのがいちばんだなと、今のわたしは思っています。

わたしは、つーちゃんの一番の味方でいたい。つーちゃんが帰ってきたいと思える家にしたい。帰ってきたら、そこにお母さんがいてなんでも話せる。ここにいていいんだって、つーちゃんが安心できる居場所をつくりたい。

パパとママは、つーちゃんが生まれるのを待っていたんだよ。

つーちゃんの出産予定日は、2月4日の春分の日だったの。
その年に初めて鳴き、春の訪れを告げるうぐいすの声を、初音というんだって。初めての音を奏でるように、新しい道を切り拓いていってほしい。そんな願いをこめて、「初音」と名付けました。

つーちゃんが、道を切り拓いていく。
自分で、進む道を選んでほしい。選択肢は、わたしもちょっと用意するけれど、つーちゃんが選ぶ経験を積み重ねて、いずれわたしが選択肢を提示しなくても、歩んでいける子になってほしいな。わたしは、つーちゃんの可能性を信じています。

物心がつくころには、パパもママも朝早く出て夜遅くに帰ってくる生活になっちゃうかもしれないね。今、パパとふたりで、つーちゃんのことを24時間考えて、成長を見守る日々が、すごく幸せです。

ほんとうにかわいい、わたしたちの大切な娘。

つーちゃん、大好きだよ。
つーちゃん、愛しているよ。

2023年3月
パパとママより



この文章は、インタビューの内容をもとに執筆しています。